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ダニエル・イノウエへの畏敬の念。  アメリカ上下院 尖閣に安保適用法を可決

  
12月17日 ダニエル・イノウエ 死去
12月20日 議事堂中央 大広間に安置し 追悼式典
12月20日 アメリカ下院で 尖閣諸島に安保適用 法案を可決
12月21日 アメリカ上院で 尖閣諸島に安保適用 法案を可決


この日程を見ますと、ダニエル・イノウエへの追悼の思いも加わって
アメリカ上下院が 尖閣に 安保適用する法案を可決したように感じます。

ダニエル・イノウエは、さきの大戦で 類まれなき勇気と祖国アメリカへの忠誠心を発揮しています。その姿に思いを馳せたアメリカ議員は、もしも自分が同じ立場ならと畏敬の念が湧いたことと思います。そして、現在の同盟国 日本や日本人にもダニエル・イノウエへの畏敬の念を重ねあわせていたのではないか… と思いました。


アメリカは、祖国のために 戦場で命をとす兵士への尊敬心が篤いです。

さすが、アメリカは、父祖が 独立を戦って勝ち得た歴史の国と思います。
議員も市民にも 国家の独立と安全保障の大切さがわかっているかたが多い感じです。
家庭教育の中で この価値観が伝承されている家庭が多いからかもしれません。



ダニエル・イノウエへの追悼式典は、アメリカを代表する人望の篤い
リンカーンやケネディなどの一部大統領と同じ扱いで 荘厳に行われています。

このことから、アメリカがいかに 国家の独立と安全保障を大切にしているかが、
また、国家の独立と安全保障を守る兵士と 兵士の勇気を価値ある尊いものと思っているかが伝わってきました。

ダニエル・イノウエ
20日、ワシントンの米連邦議会大広間に安置されたイノウエ上院議員のひつぎ=AP 読売





国家の独立と安全保障の大切さ、そして自由の本当の値打ちは
国民の多くが命を賭し戦い、勝ち得て初めてその価値がわかるのかもしれません。

いまの日本は、敗戦し、戦後、その大切さを見失っています。
政界もマスコミも経済人も教育界も、国民の多くに自虐的な史観を持つ人が多いです。

日本は、自ら、国家の独立と安全保障の大切さ、自由の本当の値打ちを再発見し、
子孫に伝えれるだけの強い確信を持つべき時期になったように思います。

情報戦、選挙戦など日々の中にすでに戦いがあり、戦場です。
また、紛争や衝突など 非日常の戦いも今後、起こるかもしれません。

臆せず 命をかけ 立ち向かっていく勇気。
この勇気が発揮できるかどうか問われるのでしょう。

そうして独立と自由の本当の価値を勝ち得、深く理解し
独立と自由の本当の得がたい尊い価値を、日本国民の共通の常識、
コモンセンスとしてわたしたちは体得していくのでしょう。





ダニエル・イノウエは、彼の武勇に与えられた名誉で、
生前、アメリカの日系人の社会的なステイタスを向上させました。

そして、死去するとき、日米のきずなを強め、日本の安全保障に寄与しました。
見事な 武人と思います。






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◆ 第二次大戦中、日系人の志願兵で米陸軍第442連隊が結成されました。
◆ 米上院のダニエル・イノウエ議員と会い F22 よりも人脈を
◆ 右腕のない英雄 ダニエル・イノウエ米上院議員 死去  第442連隊(日系人部隊)
◆ ダニエル・イノウエへの畏敬の念。  アメリカ上下院 尖閣に安保適用法を可決
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■ イノウエ議員のひつぎ、大広間に…大統領級扱い 2012年12月21日 読売

【ワシントン=山口香子】17日に88歳で死去した、日系人初の米連邦議員で、民主党重鎮の上院議員ダニエル・イノウエ氏の遺体を納めたひつぎが20日、ワシントンの連邦議事堂中央にある大広間に安置され、追悼式典が開かれた。 長年、親交があったバイデン副大統領が「未来の世代は、イノウエ氏から国家への献身の精神や、公共への奉仕を学ぶだろう」と述べ、超党派の議員らが別れを惜しんだ。

米メディアによると、大広間に遺体が安置されるのは32人目。
リンカーンやケネディなど一部大統領や、ごく少数の議員に限られていた。

ダニエル・イノウエ
20日、ワシントンの米連邦議会大広間に安置されたイノウエ上院議員のひつぎ=AP



■ 米「尖閣安保適用」成立へ、上下院が法案可決 2012年12月22日 読売

【ワシントン=山口香子】米上院は21日の本会議で、沖縄県の尖閣諸島が、米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象であることを確認する条項を盛り込んだ、2013会計年度(12年10月~13年9月)の国防権限法案を可決した。下院は20日に同法案を可決しており、オバマ大統領が署名して成立する。 法案は、中国を念頭に、「第三者による一方的行動は、日本が尖閣諸島の施政権を持っているという米国の認識にいかなる影響も与えない」と明記。日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用されるとの米政府の立場についても、「(同)条約に基づく日本政府への責任を再確認する」とした。 さらに、尖閣諸島海域を含む東シナ海を「アジア太平洋すべての国に利益をもたらす重要なシーレーン(海上交通路)」と位置づけ、「領有権などを巡る争いの解決には、全当事者の自制が必要だ」と指摘した。

■ 尖閣諸島に安保適用 米で法案成立  2012年12月22日 NHK

尖閣諸島に安保適用 米で法案成立
アメリカ議会は、中国が領有権を主張している沖縄県の尖閣諸島について、アメリカの防衛義務を定めた日米安全保障条約の適用範囲内であることを明記した法案を可決成立させ、立場を改めて明確にすることで、中国をけん制するねらいがあるものとみられます。 アメリカ議会上院は21日、本会議を開き、議会下院が前の日に可決した2013会計年度の国防予算の大枠を定める国防権限法案を可決し、法案が成立しました。 この法案には、中国が領有権を主張している沖縄県の尖閣諸島を巡る条項が盛り込まれ、「アメリカは領有権に関して特定の立場をとらないが、尖閣諸島は日本の施政下にあり、第三国の一方的な行為によってこの認識が変わることはない」と明記されています。 そのうえで、「日本の施政権が及ぶ地域に対して、アメリカは日米安全保障条約の第5条に基づき、防衛の義務がある」として、尖閣諸島は、日米安全保障条約の適用範囲内であると指摘しています。 一方で、法案は「東シナ海の領有権問題は、それぞれが自制し、外交的に解決する必要がある」とも指摘していて、日本や中国などに対して、これ以上事態を悪化させないよう求めています。今回の法案の内容は、アメリカ政府のこれまでの公式見解と同じですが、尖閣諸島を巡るアメリカの立場を議会としても改めて明確にすることで、中国をけん制するねらいがあるものとみられます。


    











■ 日系人初の米連邦議員 2012年12月18日 読売

【ワシントン=中島健太郎】米国の日系人初の連邦議会議員で、民主党の重鎮であるダニエル・イノウエ上院議員が17日午後、呼吸不全のため、ワシントン郊外の病院で死去した。88歳だった。イノウエ氏の事務所が同日、明らかにした。議会きっての知日派の議員として知られ、日米関係の強化に貢献した。 1924年、福岡県からの移民を両親とする日系2世としてハワイで生まれた。59年に同州選出の下院議員に初当選。62年に上院に転じ、2010年には9選を果たした。同年から大統領継承3位の上院仮議長の地位にあった。  第2次大戦中は陸軍に志願し、日系人部隊の「第442連隊戦闘団」に配属された。欧州での戦闘で右腕を失ったが、勇敢な戦いぶりで英雄視され、米軍人最高の栄誉とされる「名誉勲章」などを受けた。 日米経済摩擦が激化した1980年代は対日強硬派だったが、最近は沖縄駐留米軍の再編問題などで日本政府の立場に理解を示すことも多かった。日本政府は11年春の叙勲で、王族らを除く外国人への最高位の勲章である桐花大綬章を授与した。







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■ 元日系米兵の信念 「投票は 戦って手にした権利」  2012.11.1 産経
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■ ダニエル・イノウエ Wikipedia

1963年から47年以上にわたって上院議員に在任していた長老議員であり、上院民主党の重鎮議員の1人であった。2010年6月28日に最古参であったロバート・バード上院議員が死去したことで、上院で最も古参の議員となり、またこれに伴い慣例に沿うかたちで上院仮議長に選出された。上院仮議長は実質名誉職ではあるものの、大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものとなる。また第二次世界大戦時はアメリカ陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受けた。

 受章した名誉勲章への感状
ダニエル・K・イノウエ少尉は1945年4月21日、イタリアのサン・テレンツォ近郊における作戦中の際立って英雄的な行動によって、その名を残すこととなった。重要な交差点を守るべく防御を固めた稜線を攻撃している間、イノウエ少尉は自動火器と小銃から浴びせられる射撃をかいくぐって巧みに自身の小隊を指揮し、素早い包囲攻撃によって大砲と迫撃砲の陣地を占領し、部下達を敵陣から40ヤード以内の場所にまで導いた。掩蔽壕と岩塊からなる陣地にこもる敵は、3丁の機関銃からの十字砲火により友軍の前進を停止させた。

イノウエ少尉は自らの身の安全を完全に度外視し、足場の悪い斜面を最も近くにある機関銃から5ヤード以内の位置まで這い上がり、2個の手榴弾を投擲して銃座を破壊した。敵が反撃を仕掛けてくる前に、彼は立ち上がって第2の機関銃座を無力化した。狙撃手の弾丸によって負傷するも、彼は手榴弾の炸裂によって右腕を失うまで、至近距離で他の敵陣地と交戦し続けた。激しい痛みにも関わらず彼は後退を拒否して、敵の抵抗が破れ、部下達が再び防御体勢に入るまで小隊を指揮し続けた。攻撃の結果敵兵25名が死亡し、8名が捕虜となった。イノウエ少尉の勇敢かつ積極的な戦術と不屈のリーダーシップによって、彼の小隊は激しい抵抗の中でも前進することができ、稜線の占領に成功した。

イノウエ少尉の 類まれな英雄的行為と任務への忠誠は、軍の最も崇高な伝統に沿うものであり、また、彼自身やその部隊、ひいてはアメリカ陸軍への大きな栄誉をもたらすものであった。

右腕を失ったことにより、当初目指していた医学の道をあきらめた。
ダニエル・イノウエ02



■ 第442連隊戦闘団 Wikipedia

第442連隊戦闘団(英: 442nd Regimental Combat Team)は、第二次世界大戦中のアメリカ合衆国陸軍において日系アメリカ人のみで編成された部隊。ただし士官はその限りではない。ヨーロッパ戦線に投入され、枢軸国相手に勇戦敢闘した。その激闘ぶりはのべ死傷率314%(のべ死傷者数9,486人)という数字が示している。アメリカ合衆国史上、もっとも多くの勲章を受けた部隊としても知られる。 第二次世界大戦中、約33,000人の日系二世がアメリカ軍に従軍し、そのほとんどは本団、第100歩兵大隊、アメリカ陸軍情報部の3部隊のいずれかに配属された。

・・・ 1944年10月24日、第34師団141連隊第1大隊(通称:テキサス大隊 テキサス州兵により編制されていたため)がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」 (Lost battalion) と呼ばれ始めていた。10月25日には、第442連隊戦闘団にルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動した。休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなる。 10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功した。

しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重症を負った。救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されている。この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになった。

また、失われた大隊救出作戦後、第一次世界大戦休戦記念日(11月11日)にダールキスト少将が戦闘団を閲兵した際、K中隊に18名、I中隊には8名しかいないのを見とがめ、少将が「部隊全員を整列させろといったはずだ。」と不機嫌に言ったのに対し、連隊長代理ミラー中佐が「目の前に並ぶ兵が全員です。残りは戦死か入院です。」と答えたという話が残っている。その報告を聞いたダールキスト少将はショックの余りスピーチさえ出来なかった。これは第36師団編入時には約2,800名いた兵員が1,400名ほどに減少していたためである。

「ショックの余り」の訳は、ニュアンスが正しくないように思います。
「胸がつまって」とか「突然 思いがこみあげ」という心境かと。

同団が強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって構成され、ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として最高の殊勲を上げたことに対して、1946年にトルーマン大統領は、
'You fought not only the enemy, you fought prejudice---and you won.
 (諸君は 敵のみならず偏見とも戦い勝利した。)' と 讃えている。

442連隊の戦後
442連隊の勇戦もむなしく、戦後もアメリカ白人の日系人への人種差別に基づく偏見は変わらなかった。

部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちも、白人住民から「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といった敵視・蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれた。

また、現在のアメリカ陸軍では、
442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は必修課程
となっている。



アメリカは、彼の勇気を讃え、栄光と名誉を与え、市民権(投票権)を添えています。
また、後進たちが必ず学び 忘れられないよう歴史に刻んでいます。
そして、彼の勇気を アメリカ陸軍の根本の精神に加えています。 

ダニエル・イノウエは、アメリカ大統領が急になくなったときの(戦争など) 継承順位 第3位だったそうですが、ダニエル・イノウエの示した勇気と貢献に アメリカという国を采配できるまでの信頼で臨むアメリカは 評価を惜しまない 度量のある国の一面があると感じます。







日系人部隊の編制

1941年12月の真珠湾攻撃に伴い、アメリカ合衆国は大日本帝国に対して宣戦を布告した。その後アメリカ軍は各地で敗退を続けたこともあり、アメリカ政府は日本軍のハワイ侵攻及び本土進攻を恐れていた(後に日本海軍の潜水艦によるアメリカ本土砲撃や、艦載機によるアメリカ本土空襲が行われている)上に、その際のアメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に不安視していた(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)ことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。

なお、ハワイ居住の日系人については、全体の人口に対して、その率が島によっては人口の半分程度とあまりにも多く、社会が成り立たなくなると同時に膨大な経費と土地を必要とすることになるため、ハワイ当局は、日系人社会に対して影響力が高いとみられた日系人会幹部や僧侶ら数百人程度をホノルルのサンド・アイランド(一部は本土)に強制収容したのみであった。

第二次世界大戦の戦争目的として、日本は「アジアの白人支配からの打倒」を謳い、アメリカでの日系人の強制収容を「白人の横暴の実例」として宣伝していた。アメリカはそれに反駁する必要に迫られ、日系人の部隊を編制することになった。また、高い士気を持った第100歩兵大隊が、軍事訓練においてひときわ優秀な成績をあげたこともこれを後押しした。

1942年6月に、在ハワイの日系二世の陸軍将兵、約1,400名は「ハワイ緊急大隊」に編成され、ウィスコンシン州に送られた。同地のキャンプ・マッコイで部隊は再編され、第100歩兵大隊'(100th infantry battalion)と命名される。

大隊長以下3人の幹部は白人だったが、その他の士官と兵員は日系アメリカ人で占められていた。ここで部隊は訓練を重ね、1943年1月にはミシシッピ州のキャンプ・シェルビーに移駐する。これ以前にも、既に3,500人の日系人がアメリカ軍でさまざまな任務に当たっていた。

1943年1月28日、日系人による連隊規模の部隊が編制されることが発表され、強制収容所内などにおいて志願兵の募集が始められた[3]。部隊名は第442連隊であるが、歩兵連隊である第442連隊を中核に砲兵大隊、工兵中隊を加えた独立戦闘可能な連隊戦闘団として編成されることとなった。ハワイからは以前から大学勝利奉仕団で活躍していた者を含む2,600人、アメリカ本土の強制収容所からは800人の日系志願兵が入隊した。本土の強制収容所からの入隊者が少ないのは、各強制収容所内における親日派・親米派の対立や境遇が影響していたが、ハワイでは事情が異なり、募集定員1,500人の6倍以上が志願したため[3]、定員が1,000人増やされた。なお、徴兵年齢(18-39才男性)の日系人人口は、ハワイで23,000人強、本土では25,000人程度で大差はなかった。

編成当初、背景事情の違いから本土出身者とハワイ出身者の対立は深刻で、ハワイ出身者は本土出身者を「コトンク(空っぽ頭)」、自分たちを「ブッダヘッド(刈上げ髪を揶揄した言葉、もしくは釈迦の頭)」と呼んで互いに嫌いあい、第100歩兵大隊の兵士も加わった暴力沙汰もあった。

そこで上層部は、双方の対立を解消すべく、ハワイ出身者に本土の強制収容所を見学させることとした。彼らは当初「自分達と同年代の女の子達に会える」と喜んでいたものの、有刺鉄線が張り巡らされ、常に監視員が銃を構えているという、刑務所同然の現状を目の当たりにして、如何に本土出身者が辛い状況に置かれているかを知り、対立は解消されることとなった。

なお、日系人部隊の合言葉であった"Go for broke!"(「当たって砕けろ!」、「死力を尽くせ!」、「撃ちてし止まん」)は、元来は有り金すべてをつぎ込むことを意味するハワイ(ハワイの移民プランテーションでは、賭博が盛んに行われていた)のギャンブル用語であり、ピジン英語である。

ヨーロッパ戦線での活躍

日系人部隊は当初、白人部隊の「弾除け」にされるのでは、という軍上層部の危惧により戦闘には投入されなかった。1943年8月に北アフリカのオランに到着した第100歩兵大隊の配備先は未定だったが、大隊側からの希望によって、9月22日に第34師団第133連隊に編入され、イタリアのサレルノに上陸した。29日にはドイツ国防軍と遭遇し、初の戦死者を出した。

1944年1月から2月にかけて、ドイツ軍の防衛線「グスタフ・ライン」の攻防において激戦を繰り広げた。5月には、ローマ南方の防衛線「カエサル・ライン」の突破にも活躍している。ローマへの進撃の途上で激戦地モンテ・カッシーノでの戦闘にも従事し、多大な犠牲を払った。部隊はベネヴェントで減少した兵力の補充を受け、ローマを目指したが、軍上層部の意向によりローマを目前にして停止命令が出され、後続の白人部隊が1944年7月4日に入城してローマ解放の栄誉を手にした。結局、部隊はローマに入ることを許可されず、ローマを迂回しての北方への進撃を命じられた。

イタリアに到着していた第442連隊は第1大隊が解体されたため1個大隊欠けていた編成となっていたので、6月に第100歩兵大隊を第442連隊に編入して、第442連隊戦闘団をベルベデーレ、ピサなどイタリア北部での戦闘に参加させた。

1944年9月に部隊はフランスへ移動し、第36師団に編入された。
10月にはフランス東部アルザス地方の山岳地帯で戦闘を行う。10月15日以降、ブリュイエールの街を攻略するため、周囲の高地に陣取るドイツ軍と激戦を繰り広げた。一帯は、山岳・森林地帯であるため戦車が使えず、歩兵の力のみが頼りであった。20日には町を攻略したものの、第36師団長J・ダールキスト少将の命令により、引き続き町東方の攻略を継続した。なお戦後のブリュイエールでは、部隊の活躍を記念して通りに「第442連隊通り」という名称がつけられた。なお、ブリュイエールでは1994年10月15日には442連隊の退役兵たちが招かれて解放50周年記念式典が執り行われている。

1944年10月24日、第34師団141連隊第1大隊(通称:テキサス大隊 テキサス州兵により編制されていたため)がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」 (Lost battalion) と呼ばれ始めていた。10月25日には、第442連隊戦闘団にルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動した。休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなる。

10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功した。

しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重症を負った。救出直後、442部隊とテキサス大隊は抱き合って喜んだが、大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで「ジャップ部隊なのか」と言ったため、442部隊の一少尉が「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。言い直せ!」と掴みかかり、少佐は謝罪して敬礼したという逸話が残されている。

この戦闘は、後にアメリカ陸軍の十大戦闘に数えられるようになった。
また、失われた大隊救出作戦後、第一次世界大戦休戦記念日(11月11日)にダールキスト少将が戦闘団を閲兵した際、K中隊に18名、I中隊には8名しかいないのを見とがめ、少将が「部隊全員を整列させろといったはずだ。」と不機嫌に言ったのに対し、連隊長代理ミラー中佐が「目の前に並ぶ兵が全員です。残りは戦死か入院です。」と答えたという話が残っている。その報告を聞いたダールキスト少将はショックの余りスピーチさえ出来なかった。これは第36師団編入時には約2,800名いた兵員が1,400名ほどに減少していたためである。

再編成を行った第442連隊戦闘団はイタリアに移動し、そこで終戦を迎えている。

隷下の第522野戦砲兵大隊は、フランス戦後はドイツ国内へ侵攻し、ドイツ軍との戦闘のすえにミュンヘン近郊・ダッハウの強制収容所の解放を行った。しかし日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはなかった。



442連隊の戦後

442連隊の勇戦もむなしく、戦後もアメリカ白人の日系人への人種差別に基づく偏見は変わらなかった。

部隊の解散後、アメリカの故郷へ復員した兵士たちも、白人住民から「ジャップを許すな」「ジャップおことわり」といった敵視・蔑視に晒され、仕事につくこともできず財産や家も失われたままの状態に置かれた。

1960年代になると、アメリカ国内における人権意識、公民権運動の高まりの中で、日系人はにわかに「模範的マイノリティー」として賞賛されるようになる。

442連隊戦闘団は1946年にいったん解体されたが、1947年には予備役部隊として第442連隊が再編制され、ベトナム戦争が起こると、1968年には不足した州兵を補うために州兵団に編入された。その後、第442連隊は解体されたが、連隊隷下部隊のうち第100歩兵大隊が予備役部隊として残っている。部隊は、本部をハワイのフォートシャフターに置き、基地をハワイ、アメリカ領サモア、サイパン、グアムなどに置いている。部隊は統合や再編制を繰り返しているが、現在も主力は日系人を含むアジア系アメリカ人が占めている。

2004年8月に、第100歩兵大隊は第29独立歩兵旅団(ハワイ州兵)の大隊機動部隊の一つとして、イラクにおける任務のために活動を再開した。部隊はハワイのスコーフィールド・バラックス (Schofield Barracks) にて動員され、テキサス州のフォート・ブリス (Fort Bliss) で2004年訓練を受けた。その後、ルイジアナ州のフォート・ポーク (Fort Polk) で練成度を確認され、2005年3月よりイラクで任務に就いている。これは2006年に帰還している。

なお、同団が強制収容所の被収容者を含む日系アメリカ人のみによって構成され、ヨーロッパ戦線で大戦時のアメリカ陸軍部隊として最高の殊勲を上げたことに対して、1946年にトルーマン大統領は、'You fought not only the enemy, you fought prejudice---and you won.(諸君は敵のみならず偏見とも戦い勝利した。)'と讃えている。


また、現在のアメリカ陸軍では、
442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は必修課程となっている。


2010年10月にオバマ大統領は、442連隊戦闘団と陸軍情報部に、
アメリカ合衆国において最高位の勲章である議会名誉黄金勲章を授与する法案に署名した。



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   『Nature_Mystery_2culm
■ テンプ(金字桜): Chakoさん
   『beige_sakura-black
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■ テンプ(清楚な台所): meecoroさん
   『 kitchen01・02 』
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■ テンプ(さくら): 杏さん
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