◆ ピーター・ドラッカー の記事 

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■ 「もしドラ」アニメ化、NHKで放送へ : nikkansports.com 2010年10月17日
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■ 日本に広がる意外な経営カルト ダグアウトにドラッカー JBpress 2010.07.09
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■ 岩崎夏海が「ドラッカーの聖地」で明かした『もしドラ』秘話 現代ビジネス
  大ベストセラー著者に「ドラッカー自伝」翻訳者・牧野洋が聞いた [前編]
■ 岩崎夏海「『もしドラ』を売って出版界が間違っていることを証明したかった」
  大ベストセラー著者に「ドラッカー自伝」翻訳者・牧野洋が聞いた [後編]
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■ ドラッカーを学ぶための3冊   金融日記 藤沢数希 2010.5.3


  フィリップ・デルヴス・ブロートン
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■ 日本でドラッカー人気が衰えない理由 2009.11.4 日経ビジネスオンライン
  官僚制を擁護した、米国では忘れられた学者の魅力
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■ それは企業に頼って生きるより危険なのか?  2009.12.2 日経ビジネスオンライン
  成功の絶頂でキャリアを手放せるかどうかが人生を分ける
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  エム’ズ オフィス
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■ 知的青春のすすめ その2  2009年09月13日 (日) エム’ズ オフィス
■ 全体主義へ向かうのか     2009年10月21日 (水) エム’ズ オフィス
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■ P.F.ドラッカー (wiki
■ をただのマネジメント・グルと誤解しないために">傍観者の時代 ドラッカーをただのマネジメント・グルと誤解しないために 遊びのブログ
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貴重な記事のリンク切れに備えて (自分用に)






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■ 「もしドラ」アニメ化、NHKで放送へ : nikkansports.com 2010年10月17日

NHKが累計発行部数130万部超と大ヒット中のビジネス小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著、ダイヤモンド社)をアニメ化し、11年3月中旬から総合で放送することが16日、分かった。30~40代の男女を対象に、放送開始を午後10時55分と遅い時間に設定して全10話放送する。総合でのアニメは、06年4~12月まで放送された「少女チャングムの夢」(韓国MBC制作)以来、約5年ぶりとなる。





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■ 日本に広がる意外な経営カルト ダグアウトにドラッカー JBpress 2010.07.09

(英エコノミスト誌 2010年7月3日号)

ピーター・ドラッカーと野球を題材にした日本の書籍が意外な大ヒット作になっている。

東京のトレンディーな街、原宿に本社を構える安価でお洒落なメガネメーカーのゾフは、経営理論の熱心な信奉者とばったり出くわすと思うような場所ではない。だが、ある日、同社の上野剛史社長(38歳)は、おてんばな女子高生が表紙に描かれた野球小説を振りかざしながら社内会議に現れた。

 それは『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』という長ったらしいタイトルの本だった。上野氏は部下に同書を読むよう指示。宣伝販売促進部に所属する小山内智子氏はそれに従った。

 今年、日本の若い女性会社員の多くが引き込まれたように、小山内氏もすぐに虜になった。野球ではなく、経営学の巨匠である故ピーター・ドラッカー氏のファンになったのである。
100万部を超す大ベストセラー

 同書を読んだ後、同僚や顧客との接し方が変わったと小山内氏は言う。同書の評判は会社からカフェへ、そして家庭へと広がり、発行部数はついに 100万部を突破した。版元によれば、可愛らしい漫画の表紙は女性というより、むしろサラリーマン受けを狙ったものだった。だが、購入者の半分近くは女性だという。

 そのうえ、1973年に出版された『マネジメント(Management: Task, Responsibilities, Practices)』などのドラッカー氏のオリジナル作品までが一気に売り上げを伸ばしている。同書は過去半年間でおよそ30万部も売れ、それ以前の26年間の累計発行部数10万部を大きく上回った。

 今回の熱狂的なブームを巻き起こした意外な人物が、小説の主人公である10代の少女、ミナミ(川島みなみ)だ。ミナミは多くの日本の女子高生と同じように、野球部の男性監督の雑用係(マネージャー)となる。

 だが、この本によれば、ミナミはほかの多くのマネージャーとは違って「考える前に行動する」タイプの女の子だ。あまりに覇気のない部員たちに愕然としたミナミは、勝手に甲子園出場という目標を設定する。そうした中、ミナミは偶然、1973年に出版されたドラッカー氏の著書に出合い、同書をヒントにバラバラの野球部を1つのチームへと導いていく。

 明確かつ測定可能な目標を設定せよというドラッカー氏の助言は、「ガンバレ」が最も一般的な経営幹部の指令である日本で大きな共感を呼んだ。頑張れというのは、漠然と(また、あまり助けにならない)「自分を駆り立てろ」という意味の言葉だ。
故ドラッカー氏からの最高の贈り物に?

 日本という国に当惑しながらも、日本を愛したドラッカー氏は、現状に感激したことだろう。2005年に亡くなる前の年、ドラッカー氏は、日本企業が近く韓国、中国、インドなどのライバル企業に追い抜かれると予言して警鐘を鳴らしていた。そして日本企業に対して、自分たちは何が得意なのか、何をやってはならないか、持っている価値は何かということをしっかり見極めて、競争に備えるよう説いていた。

 ドラッカー氏の助言の多くは聞き入れられなかった。
ゾフなど一部の新興企業は鋭敏だが、組織を圧迫して活力を奪っていくタコのような日本企業も依然多い。女性は今も十分に活用されていない資産だ。働く女性は全体の61%にとどまり、平均所得は男性の半分以下、役員に占める女性の割合もわずか1%に過ぎない。

 もしドラッカー氏が奔放なティーンエイジャーの手を借りて、没後にこうした現状を変えることができれば、それは同氏から日本への最高の贈り物となるだろう。









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■ 岩崎夏海が「ドラッカーの聖地」で明かした『もしドラ』秘話 現代ビジネス
  大ベストセラー著者に「ドラッカー自伝」翻訳者・牧野洋が聞いた [前編]

ピーター・ドラッカーが2005年に永眠するまで30年以上も住み続け、「第二の故郷」としてこよなく愛した学園都市クレアモント。南カリフォルニアの陽光がさんさんと降り注ぐ5月19日、市の中心部にあるクレアモント大学院大学の総長宅でお茶会が開かれた。

ジョセフ・ハフ総長がお茶会に招待した相手は、

『もし高校野球の女子マネジャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の著者、岩崎夏海氏である。上機嫌の総長は『もしドラ』についてこうコメントした。

「プロ野球は今も男の世界です。いかに女性の社会進出が進んだとはいっても、女性マネジャー(監督)が誕生するとなったらやっぱり驚きですね」

 岩崎氏も含め、お茶会に出席していた5人はそろってうなずく。

「仮に女性マネジャーが誕生し、しかもドラッカーの『マネジメント』を読んだとしたら、これはもう驚きどころではありません。驚天動地です」

 岩崎氏は「ハハハ」と大笑い。
それにつられてみんなも腹を抱えて笑い始めた。

 その後、ハフ総長は岩崎氏にプレゼントを手渡した。
大リーグのアナハイム・エンゼルスで活躍する松井秀喜選手の額入り写真だ。
そこには松井選手自身によるサインも入っている。
額にはめられたガラスは紫外線カット仕様で、日差しからサインを守ってくれる。

岩崎氏がクレアモントを訪れたのは、ドラッカーゆかりの地を訪ね、
98歳のドリス・ドラッカー夫人ら関係者に会うためだった。

クレアモント大学院大学に設置されているドラッカースクール
(正式名称は「ピーター・F・ドラッカー&マサトシ・イトウ経営大学院」)に対し、
『もしドラ』の印税の一部を寄付する契約書にサインする目的もあった。

 ドラッカースクールからの大歓迎に驚き

ドラッカースクールこそ、クレアモントに1971年に移住したドラッカー自身が
看板教授として教えたビジネススクールだ。

岩崎氏は「ドラッカー先生のおかげで本を書けた。
だから寄付するのは当然だと思いました」と語っている。

 『もしドラ』はすでに50万部以上売れる大ベストセラーになっている。
iPhone(アイフォーン)向け電子ブック版も好調な滑り出しを見せているという。
岩崎氏は印税の10%をドラッカー関連の団体に寄付するとかねて表明している。


ドラッカースクールへはとりあえず400万円程度寄付する。
海外のビジネススクールへ寄付する日本人作家は異例だ。


クレアモントでは、5月20日までの滞在中に、ドラッカー関係者から大歓迎された岩崎氏。
ドラッカースクールの学長らと一緒にエンゼルスの試合を見るなど、充実した6日間を過ごせたようだ。
「こんなに歓迎されるとは思いもよりませんでした」と驚いている。

忙しいなか、岩崎氏は「『現代ビジネス』用に対談する機会も設けてくれませんか」という依頼を快く受け入れてくれた。私事になるが、ドラッカーが自伝『知の巨人 ドラッカー自伝』(日本経済新聞「私の履歴書」が土台)を書くに際して、インタビューや資料集め、解説執筆といった形でドラッカーに協力したことがある。それが遠因になり、私は今クレアモントに住んでいる。

 『もしドラ』と松井秀喜の意外な関係

牧野 初のカリフォルニア訪問。
2日目の日曜日、念願かなってアナハイム・エンゼルスの試合を見ることができましたね。

岩崎 『もしドラ』を書き上げて、実際に出版になるまでの間、苦しい時期がありました。たとえて言うなら、「大学受験が終わったのに、合否の発表はまだ」という時期で、不安でいっぱいでした。

そんな時、ニューヨーク・ヤンキーズの松井選手が大リーグのワールドシリーズで大活躍し、最優秀選手(MVP)に選ばれました。非常に興奮し、勇気を与えてくれた松井選手に感謝する気持ちになったのです。

大リーグはずっと見たかったけれども、これまで1度も見たことがありませんでした。
アメリカに来たからにはぜひ観戦したいと思っていました。

偶然ですが、クレアモントからアナハイム球場まではすぐに行けます。
しかもアナハイム・エンゼルスには松井選手がいて、たまたまぼくの滞在中にホームでプレーする予定でした。これを見逃すわけにはいきませんでした。

アナハイム球場での試合観戦は期待通りに楽しめました。
ぼくはエンターテインメントの世界にいますから、アメリカでは野球そのものよりも、野球を楽しんでいる人と演出している人を見たかった。それがとても良かった。松井選手も1安打、1打点できちっと活躍してくれました。

日本では、試合と関係なく1回の表から太鼓をたたいてどんちゃん騒ぎを始めます。
だから球場が嫌いでした。アメリカは180度違いました。1回の表はしーんと静まりかえって、みんなハンバーガーを食べたりコーラを飲んだりしています。観客も選手も、1回の表が重要でないと分かっているのです。

野球は9回の裏に向かって盛り上がっていくべきです。
最初からどんちゃん騒ぎでは9回の裏まで持たないで、息切れしてしまう。

 大学を中退したスティーブン・ジョブズ

牧野 アナハイム球場では貴賓室で観戦。
しかも、ドラッカースクールからアイラ・ジャクソン学長やドラッカー研究第一人者のジョー・マチャレロ教授をはじめ、総勢10 人以上が同席したそうですね。

岩崎 大変な歓迎で、びっくりしました。
みなさん何でこんなに親切なのか、不思議でした。アメリカ人は人づきあいが上手です。
人を楽しませる習慣を自然と身に付けているようです。
人にもよるでしょうが、生まれながらエンターテイナーが多いのかもしれません。

 最初は自分でチケットを買い、外野席で見るつもりでした。
でも、ドラッカースクールから「ぜひこちらで招待させてください」と言われ、お言葉に甘えさせていただきました。貴賓室で学長まで同席してくれるとは、予想外でした。


牧野 ドラッカーゆかりの地クレアモント、松井選手が活躍するエンゼルスの本拠地アナハイム、「エンターテインメントの世界首都」ハリウッド――。
すべて南カリフォルニア・ロサンゼルスの周辺にあり、1時間以内で行き来できます。
運命的なものを感じられるのでは。

岩崎 アップル創業者のスティーブ・ジョブズが何年か前に、スタンフォード大学の卒業式で行った名スピーチを思い出します。そこでジョブズが言った「コネクティング・ザ・ドッツ(点をつなげる)」という言葉が好きです。

ジョブズは大学を中退していますが、「中退したからこそ学べた事があり、それが後になって非常に役立った」と語っています。つまり、その時点ではなんだか分からないけれども、後から振り返るとすべての点がちゃんとつながっているというのです。

 後を振り返ってしか点をつなげられないけれども、すべての点は将来何らかの形でつながっていくと信じなければいけない、というわけです。今回アメリカに来て、ドラッカー、松井選手、ハリウッドという3点が南カリフォルニアでつながっていることを発見しました。まさに「コネクティング・ザ・ドッツ」です。

さらに付け加えれば、『もしドラ』を出版したのが2009年12月。
同年11月は、折しもドラッカー生誕100周年でした。
生誕100周年はまったく意識していなかったのに、偶然にも重なりました。
ドラッカーと野球を結びつけたのは正しかった

牧野 その延長線上で言えば、ドラッカーと野球の関係も「コネクティング・ザ・ドッツ」ですね。

岩崎 そうなんです。実はドラッカーと野球には深い関係があるのです。

 ドラッカーは大の野球ファン。
ロサンゼルスへ本拠地を移す前のニューヨーク・ブルックリン時代から、一貫してドジャーズを応援していました。ドリスさんから聞いたのですが、子供にわざわざ学校を休ませて、家族連れで試合を見に行っていたそうです。

ぼくとの面会中、ドリスさんは「ピーターが野球のユニフォームを着ている写真がある」と言って、探しに行ってくれました。残念ながら見つかりませんでしたが、面白い話を聞かせてくれました。

ドラッカー一家がニューヨーク近郊のニュージャージーに住んでいた時のことです。
ニューヨーク・ヤンキーズの監督も務めたヨギ・ベラが近所に住んでいて、ドラッカーと親しかったそうです。だれかから「なんでこんな田舎町に住んでいるんだ?」と聞かれると、ヨギ・ベラは「世界的な有名人が2人住んでいる。おれとドラッカーだ」と答えたそうです。

ドラッカーの野球好きを知ったのは、昨年暮れに日本のドラッカー学会の総会に顔を出し、ドラッカースクールのジャクソン学長のスピーチを聞いた時です。学長は「岩崎さんの本はとてもドラッカー的。なぜなら、ドラッカーは大の野球好きだから」と言ったのです。とてもうれしかったです。

ドラッカーの野球好きを知らないで『もしドラ』を書いたのですが、ドラッカーと野球を結び付けたのは正しかったわけです(笑)。

 ドラッカーは週刊誌の原稿料で生活費を稼いでいた

牧野 クレアモント大学院大学のハフ総長とのお茶会も野球の話題で盛り上がりました。岩崎さんは松井選手の額入り写真をプレゼントにもらいましたからね。

岩崎 口ひげをたくわえたハフ総長とのお茶会は楽しかったです。総長には古き良き時代の典型的アメリカ人という雰囲気がありました。大好きなノーマン・ロックウェルが描いた絵に出てきそうな風貌と話し方でした。アメリカの良心というか故郷というか・・・。「アメリカに来たんだなあ」と改めて感じました。

牧野 実を言うと、ドラッカーはロックウェルとも間接的につながっています。
アメリカへ移住した直後の1930年代後半、ドラッカーはフリーランスのジャーナリストとして新聞社や雑誌社に自分の原稿を売り込んでいました。

最初にドラッカーの記事を定期掲載してくれるようになった雑誌が、当時アメリカ最大の発行部数を誇っていた週刊誌「サタデー・イブニング・ポスト」でした。

 同誌とロックウェルは切っても切り離せません。
何しろ、1916年から50年近くにわたって同誌の表紙を飾っていたのは、ロックウェルのイラストだったのです。

 ドラッカーにインタビューした時、「サタデー・イブニング・ポストは原稿料を弾んでくれるので、生活費が足りない私にとってありがたかった」と回想していました。

岩崎 そうなんですか。同じ雑誌向けにロックウェルはイラストを描き、ドラッカーは原稿を書いて生活費にしていたんですね。しかも同じ時期に。

 ビジネスウィークでも取り上げられた『もしドラ』

牧野 岩崎さんの訪米中、世界中にあるドラッカー学会の代表者がクレアモントに集まり、年次総会を開いています。世界中のドラッカーファンがクレアモントで一堂に会しているわけです。

 そのなかで、日本語版しかないにもかかわらず、『もしドラ』への関心が高いようですね。ドラッカーの生まれ故郷であるオーストリアのドラッカー学会代表者も「ぜひミスター・イワサキに会いたい」と言っています。

岩崎 世界から注目されるのは、不思議な感じがします。
日本語版しかないですが、ドラッカー研究所のリック・ワーツマン所長が有力誌「ビジネスウイーク」オンライン版上で『もしドラ』についての記事を書いてくれました。それも影響して、アメリカやヨーロッパの方々も関心を寄せ始めたのかもしれません。


牧野 先日、ドラッカー研究所のワーツマン所長に聞いたら、「ドラッカー本人が書いたのならともかく、第三者が書いたドラッカー本が数十万部も売れるなんて、異例中の異例。なんでこんなに売れるのか・・・。だれもが不思議に思っている。読んでみないと分からないけれども、きっととても面白いんだろうね」という返事でした。

岩崎さんの本は、日本では「小説形式のビジネス書」として扱われています。
日本人が書いたビジネス書が海外で注目されることはめったにありません。
仮に英語に訳されていても、新聞や雑誌で紹介されることはまずないです。

ドラッカーゆかりの地クレアモントにドラッカー関係者が大勢いたという点は割り引かなければなりませんが、ドリス夫人も『もしドラ』に興味津々で、「英語版はないの?」と言っています。海外でも注目される理由は何でしょう?


岩崎 ドラッカーの中にエンターテインメントという要素を見いだせた
 これが最大の理由じゃないかと思っています。

皆さんは「ドラッカーは経営の神様」とか「ドラッカーは役に立つ」といった理由でドラッカー本を読んでいます。

でも、本当は面白いから読んでいるのであって、それがエンターテインメント的な面白さだとは気付いていないだけなのではないでしょうか。

ぼくはそれにいち早く気付き、ドラッカーをエンターテインメントの世界へ翻訳できたと思っています。

タイトルだけでも"におい"を嗅げるはずです。

欧米の人は日本語で書かれた『もしドラ』を読めませんが、タイトルにある「ドラッカー」「野球」「女子マネジャー」という言葉を聞いて、「そこにエンターテインメント的な面白さがある」と思っているのででしょう。

ワーツマン所長にも会いましたが、「誕生日に息子から日本語版『もしドラ』をプレゼントされて、びっくりしました。日本人向け本屋で見つけ、買ってきたようです」と言っていました。表紙もエンターテインメントそのものですから、子供にも分かりやすいですよね。

ドラッカーを材料にして小説を書こうと思い立ったころ、『ダ・ヴィンチ・コード』というハリウッド映画が流行っていました。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」や「最後の晩餐」をモチーフにした小説が原作です。ダ・ヴィンチの「モナリザ」や「最後の晩餐」がエンターテインメントになるように、ドラッカーの『マネジメント』もエンターテインメントになるのです。

すべての芸術作品や経営理論にエンターテインメント的な価値があるとは言いません。
でも、エンターテインメントのネタはいろいろな所に転がっているはずで、これからも"発見"があると思います。


牧野 ちょっと飛躍しますが、『もしドラ』の英語版が出たら、ハリウッドでの映画化にもつながるかもしれませんね。そしたら来年も南カリフォルニアへ来なければならなくなりますよ。

岩崎 そうなったらいいですね(笑)。
具体化はしていませんが、少なくとも英語版の話は出ています。
それがなくてもクレアモントへはまた来るつもりです。

牧野 『もしドラ』は日本ではビジネス書扱いされていますが、岩崎さん自身はどう位置付けされていますか。

岩崎 驚かれるかもしれませんが、9.5対0.5の割合で小説です。
ダイヤモンド社の加藤さん(書籍編集担当の加藤貞顕氏)からは「小説形式でビジネス書を書いてください。30代のビジネスマンがマネジメントを簡単に勉強できるような本を作りたい」と言われていましたから、さすがに10対0にするわけにはいきませんでした(笑)。
「売れる自信はありました」

牧野 もともと小説家志望でいらしたのですよね。

岩崎 実はこれまでに5冊も小説を書いています。どれも出版されていないので、職業小説家の道はあきらめていました。「最高の作品を書いたのに、日本の出版界では評価されない」とさじを投げていたのです。「100年かけても出版できない」という意味で、小説には「100年の恨み」がありました。

ですから、加藤さんから話があった時、「これは100年に1度のチャンス。全身全霊をささげて書く」と決意しました。人に楽しんでもらうためのテクニックをすべて惜しみなくつぎ込む――こう思ったのです。

ただ、加藤さんにはこんなことは話さず、「分かりました。いいですよ」と軽く返事しました。というのも、出版界では「業界が不況なのは、売れない本を自己満足で出し続けているから」と言われていたからです。

つまり、「売れなくてもいいから完成度の高い作品にこだわる芸術肌の人」と思われたら、敬遠されてしまうと恐れたのです。当たり前ですが、加藤さんは編集者ですから売れない本は手掛けたくないのです。

だから、加藤さんから「ビジネス書とはいっても形式は小説です。書けますか?」と聞かれた時、「ああ、なんとかなるんじゃないですか」と答えました。もともとは小説家志望で、それまでに小説を5冊も書いていたという事実は伏せて(笑)。

牧野 50 万部以上も売れると思っていましたか。

岩崎 生意気に聞こえるかもしれませんが、売れる作品を書く自信はありました。加藤さんから声がかかった時、こう思いました。

「ぼくは売れる作品を書いてきたのに、出版界は売れないと言って出版を拒否してきた。いかに出版界が間違っているのか、この本で証明したい」

 加藤さんは「1万部も売れればいいですよ」と言いました。
ですが、ぼくは「200万部売るつもりです」と宣言しました。もちろん、加藤さんは「いやいや、岩崎さん、出版界はそんに甘くないですよ!」と反論しましたが、「200万部売る」と最初の段階で明確に言っておく必要があったのです。

実際に本が売れてから「最初から売れると思っていた」と言っても、信じてもらえません。加藤さんに証人になってもらう必要があったのです。

 秋元康に弟子入りした理由

牧野 小説に興味を持ち始めたきっかけは?

岩崎 小学2年生の時に出会った『ドリトル先生』から大きな影響を受けました。この小説が好きだった期間はとても長いです。エンターテインメントの世界はテレビやスポーツなど幅広いですが、ぼくはとにかく『ドリトル先生』が好きでした。

 中学・高校性になると、小説に加えて映画も好きになりました。
邦画やハリウッド映画はもちろん、ヌーベルバーグ(1950年代後半から登場したフランスの映画運動)や黒澤明、ヒッチコック(イギリスからアメリカへ移った著名映画監督)など昔の作品も片っ端から見ました。「映画こそエンターテインメントの王様」と結論し、「将来は映画監督になりたい」と思うぐらい好きでした。

ところが、大学生になってガブリエル・ホセ・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読み、「エンターテインメント性で小説は映画をはるかに凌駕している」と思うようになりました。映画は情報量が多すぎるから、想像を膨らませる幅も狭くなります。小説は情報量が適度であり、情報のバランスの点で小説を超えるものはない、と結論しました。

その時点から、「死ぬまでに『百年の孤独』に匹敵する小説を1冊書く」のが自分の目標になりました。でも、すぐに小説家にはならず、まずはエンターテインメントの大衆性を学ぼうと考えました。

ハリウッド映画『パルプフィクション』のような作品、少し下品かもしれないけれども面白さでは天下一品―― これが自分に一番欠けていたからです。だから、秋元康さんに引かれ、弟子入りしました。

 どの出版社からも断られた処女作を乗り越え

牧野 『もしドラ』は岩崎さんにとって『百年の孤独』に相当する作品ですか。

岩崎 『もしドラ』にはすべてをつぎ込み、素晴らしい作品に仕上げることができたと思います。

 ドラッカーの名言に「事業の目的は顧客をつくること」があります。
『もしドラ』に当てはめると、「小説(事業)の目的は読者(顧客)をつくること」になります。
その意味でドラッカーの哲学に忠実に従って作った本と言えます。

もっとも、「売るためにはどうしたらいいか」に特化しているため、やや軟派であり、妥協点もありました。その意味で『百年の孤独』に相当する作品とは言いにくいです。あえて挙げれば、『百年の孤独』に最も近い作品は、29歳の時に書いた2作目の小説です。

1作目は『百年の孤独』にインスパイアされ、ちょっと難しい内容になりましたが、2作目ではエンターテインメント性を取り込みながら、自分の考えもきちっと反映させました。「これなら間違いない」と思ってあちこちに売り込んだのです。

ところが、どの出版社からもはねられました。新潮社などの文学賞にも応募しましたが、なしのつぶてでした。「これ以上面白い作品は書けない」という自信があったのに、です。

 もし2作目を出版できたら、痛快でしょうね。








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■ ドラッカーを学ぶための3冊 金融日記 藤沢数希 2010.5.3

1.もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら、岩崎夏海

2.マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版]
ドラッカーの経営論、組織論を体系化したマネジメントをまとめた本です。
「仕事とは何か?」「組織とは何か?」「そして人生とは何か?」

3.ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
21世紀に入ってから書かれた本。「知識労働者とは新種の資本家である。なぜならば、知識こそが知識社会と知識経済における主たる生産手段、すなわち資本だからである。」











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 コネチカットの庭から見た日本
著者のブロートン氏は、宣教師の父とミャンマー人の母を持ち、英国の工業町、ノーサンプトンで育ちました。オックスフォード大学でギリシャ文学を専攻した後、ジャーナリストとしてのキャリアをスタート。デーリーテレグラフの記者としてニューヨーク特派員時代に9・11を取材し、その功績を認められて31歳という若さでパリ支局長を務めた実力の持ち主です。10年間のジャーナリスト生活を経て「自分の収入や時間を自らコントロールできるようになりたくて、ビジネスを学ぼう」(『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場』より)と思い、2006年ハーバードビジネススクールでMBAを取得。しかし、卒業後に著者が選んだ道は、高額の報酬が得られる企業に勤めることではなく、コネチカット州に妻と子どもと暮らし、庭にある書斎で執筆活動をすることでした。日本、そして世界のさまざまな出来事について、独特の批判的視点でコラムを書いていきます。 記事一覧
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■ 日本でドラッカー人気が衰えない理由 2009.11.4 日経ビジネスオンライン
   官僚制を擁護した、米国では忘れられた学者の魅力 フィリップ・デルヴス・ブロートン
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この夏、私は 東京の書店のビジネスコーナーを見て回って、ピーター・ドラッカー用に 割かれた書棚スペースの量に驚いた。 米国 あるいは欧州では、ドラッカーの書籍を見つけるのに 相当 苦労するからである。

 彼は、年齢が上の世代の人々の間では いまだに よく知られており、広く読まれてはいるが、最近の ビジネスパーソンは ジム・コリンズや マルコム・グラッドウェルといった、より若い専門家を好んで読んでいるのだ。

我々が読むべきと言われたのはたった1つの論文だけ

 私が 2004年から2006年にかけて ハーバード ビジネススクールに 在籍していた時には、我々が必修として 読まなければならなかった ドラッカーの論文は1つだけだった。 ハーバードビジネスレビューに掲載された「 自己探求の時代 (Managing Oneself) 」だ。

 ドラッカーが 4年前に亡くなっていなかったとしたら、今年(2009年)の11月9日で 100歳になっていたはずである。 その生涯の中で 生み出した著作の数には圧倒される。 彼は、大学で教鞭を取り、コンサルタントとして働き、さらに 新聞や雑誌の記事を執筆する傍ら、小説2本と自伝を含む39冊の書籍を残し、日本の芸術に関する書籍も 1冊共著として出版している。

 ドラッカーに触れずに ビジネスと経営について語ることは難しい。 彼は、分権型企業や目標管理から、ナレッジワーカー(知識労働者)、社内における共同体意識の必要性に至るまで、幅広い概念を 我々に提供してくれている。

カリスマ的指導者と呼ばれるのを嫌ったドラッカー

 彼はよく 元祖ビジネスのカリスマ的指導者(グル) と呼ばれていたが、 彼は その言葉を明確に嫌っていた。 彼は一度こう言っている。

 「我々は、ペテン師(charlatan)という単語が長すぎて見出しにうまく収まらないから、グル(guru)という単語を使っているだけだ、ということを 私は 長年の間 言い続けてきた」

 日本とドラッカーとの密な関係は 1959年に始まった。
その年、彼の名声を高めた著書 『企業とは何か 』 に魅了された日本の経営者たちに話をするために日本を訪れたのであった。 この本はゼネラル・モーターズ(GM)における 組織と経営の実践を扱ったもので、当時、世界中の企業の指針となるものであり、ビジネスパーソンがこぞって読んでいた。


1950年代半ばに 日本の戦後経済は テイクオフを始めており、日本の経営者たちは 新しいアイデアを渇望していた。 どのように世界と競争すべきか? 工業生産のグローバル化にどのように対処すべきか? 急成長する企業をどのように経営するべきか? 新たな経営幹部をどのように採用し訓練すべきか、また意思決定をどのように行うべきか?

 これらの課題に対し、ドラッカーは、溢れんばかりのアイデアを持って米国からやって来た。

“異質な日本”という概念に振り回されることがなかった

 以後、1959年、1960年、1962年、1964年と来日を続け、それからというもの、生涯にわたって定期的に日本を訪れている。 彼は何千人もの経営者、そして経営について学びたいと熱望する何万人ものビジネスパーソンや学生に話をした。

 西洋の日本評論家の中では唯一と言ってよいかもしれないのだが、彼は日本的経営が有する西洋とは文化的に異なる側面に振り回されることがなかった。

 日本経済が右肩上がりの時、日本人ではない評論家の多くは、非常に規律正しく、組織化された商習慣をつくり出しているのは、終身雇用制、年功序列、および集団行動の伝統であるとした。 ところが、1990年代に日本経済が長期の不況に陥った際には、同じ評論家たちは、日本が変革できないのは、終始雇用制や年功序列などのせいだと言った。

 しかし、ドラッカーは より深い洞察を行っていた。
彼は、過去150年間の中で、日本が大きな変革の時期を2度経験したことに気づいたのだ。 それは、明治維新と1945年以後、戦後復興期の数年間である。このことは、日本が自己変革の能力があることを証明している。

日本の官僚制を擁護する本を書いた

 他の評論家たちが 終身雇用の習慣を批判していた時、ドラッカーはそれに反論した。 日本人は、機械化が進んでも、人間の仕事自体は消滅することはないと信じたために、他国よりもはるかに速く、新しいテクノロジーを採用し、職の安定性のおかげで、日本人は経済的および技術的変化を快く受け入れられたのだ と主張した。

 その柔軟な考え方により、ドラッカーは西洋的な固定観念の犠牲となった。 その一方で、西洋から見ると異質であり、そのために奇妙だと捉えられてきた日本、そして日本人からは慕われることになった。

 1998年、彼は 激しい批判の対象となっていた 日本の官僚制を擁護する本を書いた。 日本の官僚制は 多くの先進国、特に欧州の国々ほど高圧的なものではなく、安定感を生み出している。 そして、多くの米国人の意見とは反対に、日本の経済的利益を 本質的に考えている制度だと述べた。

 どのような経済的な変化や要求があろうとも、日本が共同体意識の伝統や社会的調和を維持することを ドラッカーは望んでいたのだ。(※おそらく誤訳。 望んでいたのだ→遠望していたのだ(俯瞰する)(眺望する) ドラッカーは 見てとっていたのだ の意。 )

 ドラッカー自身、日本に魅了されていたのだ。
彼は日本の歴史、人々、そして文化に魅了され、非常に深い友人関係を築いていた。 その中でも特筆すべきは、セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂を傘下に持つセブン&アイ・ホールディングス名誉会長の伊藤雅俊であった。

 ドラッカーと伊藤は、ドラッカーが日本を訪問する時は必ず顔を会わせ、ついには、ドラッカーの学問上の拠点である、クレアモント大学院大学ピーター・F・ドラッカー&伊藤雅俊スクールの創設のために、伊藤が資金を提供することとなる。

今後何世代にもわたって必ず再発見されるだろう

 ドラッカーの著書は、同時代の大部分のビジネス「グル」のそれとは非常に異なっている。 彼の言葉は 仏教の公案 のようでもある。 「何もしないことは最大のリスクである」、 「変化とは新しい機会であり、またその変化は良い結果につなげられなければならない」 といった言葉が その代表だ。

 米国では、彼は、常に新しいものを探し求める風潮の犠牲者であるといえるかもしれない。 しかし、ドラッカーイズム、彼の述べた哲学は、時間を超越しているかのように私は感じる。 今は 米国ではさほど読まれてはいなくとも、彼は、ビジネス上のチャレンジについてのヒントを探し求める人々に、今後 何世代にもわたって、必ず 再発見されるだろう。

 今日 ビジネス書の著者として 名をはせている人の中に、今後、ドラッカーのように 息の長い人物が登場するかどうかが見物である。


 フィリップ・デルヴス・ブロートン (Philip Delves Broughton)
バングラデシュ生まれの英国育ち。1994年オックスフォード大学ニューカレッジを卒業、2006年にハーバードビジネススクールでMBA取得。デーリー・テレグラフの記者としてニューヨーク、パリに勤務。現在は、フリーのジャーナリストとしてフィナンシャル・タイムズなどに寄稿している。
近著は 『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場』(日経BP)。





■ それは企業に頼って生きるより危険なのか?  2009.12.2 日経ビジネスオンライン
  成功の絶頂でキャリアを手放せるかどうかが人生を分ける
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近年、米国経済は平均して3000万人の雇用を生みだし、3000万人の雇用を消し去った――。

 米国のビジネス・グル、マイケル・ポーターは、常にダイナミックな動きを見せる米国経済を語る際に、この例を好んで使う。米国は柔軟な労働市場があるということの1つの証明である。つまり、企業は変化に素早く対応できるということだ。

 しかし一方で、毎年3000万の人々が、職を失ったり、転職したり、あるいは引越しをしたりしているのだ。子供たちを転校させなければいけない、職に就くために新しいスキルを学ばなければいけないといった、苦痛を伴う時期を味わっている人が多いことをも表している。

 より速いスピードで世の中が動く中、国や文化にとって一体何が重要なのかという問題を突きつけられているようだ。どのような代償を払っても、常に成長し続け、富を創り上げることが大切なのだろうか。また、安定性や秩序を保ったまま、伝統を守り続けることはできるのだろうか。

 この問題はなにも政府や企業だけに向けられたものではない。個人一人ひとりにかかわることなのだ。経済的な報酬と引き換えに、家族や友人と過ごす時間を奪われ、終わることのない労働時間や出張を強いられる世界で、どのようにしたら、個人の価値観を保ちながら、充実した人生を送ることができるのだろうか。

 自らを再定義する時期に来た日本

 米国に住む英国人として、私は大西洋の両側では異なる考え方があることを理解しているつもりである。欧州の人は米国人のことを、カネを持っているだけの金持ちを崇め、貧乏人をないがしろにする欲深いワーカホリックだと思っている。

 また、米国人は欧州人を、富を創造することよりも富の配分に気を使う、怠慢で、高い税金を取る社会主義者だと思っている。

 私がパリに住んでいたころ、硬直した官僚制度を嘆く中小企業のオーナーたちによく出くわした。フランスが週35時間労働制を導入した時、多くの中小企業は、新たに従業員を雇うほど経済的余裕がなかったため、週に1日あるいは2日は休業しなくてはならなくなった。ここ米国では、中小企業にはもっと自由があるといえるかもしれないが、その分、競争は厳しい。

 まさに歴史の転換点にある日本では、個人は自分の人生のあり方について、何を基準に選択するのだろうか。何十年と続いてきた社会的な価値観は揺らぐばかりだ。もはや終身雇用を信じる日本人はいないだろう。日本よりも中国の方がアジア経済の雄だと言われるようにもなるだろう。

 世界中のほかの国々と同様、日本は自らを再定義する時期に来ている。自分たちは何に力を注ぐのか。日本の強みとは何なのか。そして日本は何を表す国家となるのか。これだけの時代の変化を受け入れるのは、恐ろしいことで、相当な苦しみを伴うはずだ。


 私自身、ハーバードビジネススクールで学ぶため、英国の大手新聞社のパリ支局長という非常に居心地のよい仕事を辞めた時に、恐怖や不安といった感情を経験した。私は当時32歳で、自分の仕事を充分に楽しんではいたが、その気持ちと同じくらい、この仕事はこれ以上続けられない、と感じていた。新聞社のビジネスモデル自体が崩壊直前で、残念なことに、自分が30年後も同じ仕事をしているイメージができなかった。

 少なくともどこに行っても通じるスキルを身につけなければ、何かしなくては、と焦り、何か面白そうな仕事のチャンスがあれば、それに飛びつけるようなプロフェッショナルとしての何かを身につけなければ、と思っていた。

 会社を辞め個人事業主となるのは怖かった

 ハーバードビジネススクールに通うという選択は、一見何のリスクもないように思えるかもしれないが、私のようなバックグラウンドを持った人間は周りにはいなかったし、私のような人間は、普通は選ばない道であった。

 またハーバードビジネススクールで学んだことの多くは素晴らしいものではあったが、同級生の多くが希望した金融やコンサルティングなどの就職先に自分が向いていないのも在学中から明らかになった。

 卒業にあたって、私は、一体自分は人生で何をしたいのかということを、真剣に考えざるを得なかった。考えに考えて、結局私は物書きに戻った。しかし、それは戻った、というよりは、必要であればハーバードで学んだことを活かして他を選択することもできるが、自分がしたいことや、自分が貫きたいライフスタイルを貫くのに一番適した選択をした結果だった。

 この「選択できる」という感覚は私をいろいろな呪縛から解放し、私自身恐れていた自分の変化の時期を乗り越えることができた。

 毎月給料が出て、手厚い福利厚生があり、会社に行けば仲間がいるという安心を得られる立場から、独立した一個人事業主となるのは本当に怖かった。しかし、会社に守られているという感覚は、実はまやかしだったのかもしれない。特に今日において、独立して生きていくという選択は、企業に頼って生きるということよりも危険であるとは限らないだろう。

本当に職を確保するためには、どんな環境でも使えるスキルを磨き、人脈を持つことだと最近確信している。スキルや人脈はすべて自分ひとりで築いてもいいし、会社や取引先あるいは上司など、周りのリソースのスキルやコネクションを自分なりに活用するという方法でもいい。国や文化を問わず、この変化の激しい世の中で生き延びていくには必須条件だといえるだろう。


 仕事以外にたくさんの選択肢を用意しておくべき

 米国のヘッドハンターなどのキャリア・スペシャリストは、キャリアを5年から7年ごとに棚卸し、「植え替え」つまり転職したり、キャリアを再考したりすることを提案している。

 ただし、この「植え替え」は、それまでの仕事が一通り身について慣れてきた時にするものでもなく、そろそろ昇進が見えてきた、という時にするものでもない。自分が今の仕事で大きな成功を収め、そのままいればさらに大きな成果が得られるかもしれない、と思う瞬間にするのだ。

 人は成功している時は心地よく感じるものだ。人によっては、そこにしがみつこうとさえする。しかし、本当は自分で「成功している」と感じた時は、すべてを一旦手放すタイミングなのだ。

 このタイミングを見極めることが、本当に難しい。
通常、成功している際、人は満足感と達成感があり、感情的にも満足していることが多いからだ。しかし、不確実な一歩を踏み出すのは、まさしく自分が一番自信に満ちている時だ。みんなに頼られ、自分でも人の役に立っていると満足しているその瞬間、手放すのだ。

 手放した瞬間、またあなたは新たな波に乗っている自分を発見するだろう。
成功している時の椅子に座り続けていると、本当に自分が動かなくてはいけない時に動くことができなくなってしまうのだ。

 ピーター・ドラッカーは、現代人は自分の仕事の外にできるだけたくさんの選択肢を用意しておかなければならない、と言った。

 この場合の選択肢とは、ほかの職でもいいし、また趣味、ボランティア、コミュニティ活動でも、次の「人生のチャンス」を運んできてくれる可能性のあるもののことをいう。それらを常にバランスよく人生に組み入れておけば、キャリアを「植え替える」時が来たら、次の仕事は何をしようかとか、転職をしようかとか悩むことはないだろう。その時には、新たな選択肢がもう目の前に表れているのだから。


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■ P.F.ドラッカー (wiki)より

ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年11月19日-2005年11月11日)はオーストリア生まれの経営学者・社会学者。なお、著書『すでに起こった未来』(原題"The Ecological Vision")では、みずからを、生物環境を研究する自然生態学者とは異なり、人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」と規定している。ベニントン大学、ニューヨーク大学教授を経て、2003年まで、カリフォルニア州クレアモント大学院教授を歴任。「現代経営学」、あるいは「マネジメント」(management)の発明者と呼ばれる。

ドラッカーの著書の日本での売り上げはダイヤモンド社刊行分だけで累計400万部余り


彼の著作には大きく分けて組織のマネジメントを取り上げたものと、社会や政治などを取り上げたものがある。本人によれば彼のもっとも基本的な関心は「人を幸福にすること」にあった。そのためには個人としての人間と、社会(組織)の中の人間のどちらかのアプローチをする必要があるが、ドラッカー自身が選択したのは後者だった。

ナチスの勃興を目撃し、古い19世紀的ヨーロッパ社会の原理が崩壊するのを目撃した彼はアメリカに赴く。そこで彼が目にしたのは20世紀の新しい社会原理として登場した組織、巨大企業だった。彼はその社会的使命を解明すべく、GMを題材にした著作に取り掛かる。その著作は組織運営のノウハウすなわちマネジメントの重要性をはじめて世に知らしめた。彼は「分権化」などの多くの重要な経営コンセプトを考案したが、その興味・関心は企業の世界にとどまることをしらず、社会一般の動向にまで及んだ。「民営化」や「知識労働者」は彼の造語で、後に世界中に広まる。特に非営利企業の経営には大きなエネルギーを費やした。

『産業人の未来』『わが軌跡』などによると、エドマンド・バークの保守思想の影響があるとされる。

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                          貴重な記事のリンク切れに備えて (自分用に)
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■ 知的青春のすすめ その2  2009年09月13日 (日) エム’ズ オフィス より

知的青春のすすめ 大川隆法著 P243から
シュンペーターハイエクの理論については、自分なりにきちんと勉強をしておいたほうがよいでしょう。 彼らは正しいことを言っています。 主流からは外れていますが、この二人だけは押さえておいてください。 シュンペーターとハイエクの視点が大事です。 それからこれも正統派の経済学とはいえないかもしれませんが、実用性の経済学、実践の経営学として、企業の社長たちが神様のように信奉しているピーター・ F・ドラッカーの理論があります。 この三人の著書については、絶対に読んでおかなければならないと思います。

全くもって、御意にございます。
企業家・事業家になりたい人は絶対読みましょう。

ところで、傍観者の時代(ドラッカー著)に、ドラッカー氏とシュンペーター氏が会うシーンが描かれています。ドラッカー氏の父の友人だったシュンペータ氏とドラッカー氏が会った時のことが書かれています。(これは自分的にはすごいこと。)それ以外にもフロイトとか。。。

経営に興味がない人も、傍観者の時代 は読んで見たらいかがでしょう。第二次世界大戦前のヨーロッパの状況、ナチスが台頭してくる様子なども書かれています。歴史物としても面白いです。


■ コメント
http://blog.goo.ne.jp/asobinokuninoroba/e/47a73bf89a566db9f0cd3dd6960c447d より引用
『最近日経新聞に連載されたドラッカーの自伝的インタビューが本になって好評だそうだが、それなら何故「傍観者の時代」を復刊しないのか。 「私の履歴書」に語られたことは、家族のことなど以外はほとんど「傍観者の時代」により詳細に述べられている。』
「経営に興味がない人も、傍観者の時代 は読んで見たらいかがでしょう。」
の、ヒカリアンさんの一文を読んだ時に、
ああ、あの日経新聞に連載された自序伝のことね。あれは面白かった…と、
思いましたが、「傍観者の時代」と違うのですね。  な、なんと。

■ コメント (ヒカリアンさん)
そうなんです。私も日経に連載されていたとき読んでいましたが、傍観者の時代は1979年刊ですから20数年タイムラグがあり、描写の迫力というか、緻密さの点が、かなり違っています。 それにしても、傍観者の時代は絶版になっていたのですか。




                       貴重な記事のリンク切れに備えて (自分用に)
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■ 全体主義へ向かうのか 2009年10月21日 (水) エム’ズ オフィス  より

ピータードラッカーの 経済人の終わり を読みました。
この本は、ナチスドイツの全体主義について分析・考察した本です。

幸福実現党の言っている 全体主義化への懸念 が最初はピンときませんでしたが、民主党のやっていることは、この本に書かれている全体主義の特徴そのものじゃないのか?
と感じずにはいられません。
経済人の終わり の第一章にファシズムの特徴が書かれています。そのキーワードをあげてみます。

 1) 否定がその綱領である

ファシズム全体主義には、前向きの信条がない代わりにおびただしい否定がある。
過去の否定が徹底している。
これは、今、世の中がよくないのは、自民党の政治がおかしかったからだ。いままでのやり方を否定し、変えて行かないとだめなのだ。とTVで喧伝している民主党の議員の姿がダブります。
さらに、民主党には、ビジョンも具体的な成長戦略もありません。また、ダム工事など初めから否定、官僚も否定、郵政民営化も否定、これにぴったりとあてはまるのではないでしょうか。

 2) 権力が自らを正当化する。

 どう考えてもおかしい公約を掲げているにもかかわらず、とにかく政権交代(権力を握る)すれば、日本は良くなるのだ。と訴えていたこの前の選挙の民主党の姿そのものじゃないでしょうか。
 政権をとる そのこと自体で自らのを正当性を証明しようとした。それに有権者は反応し、公約ではなく、政権交代、これで投票したのはないでしょうか。

 3) 信条と公約に矛盾があっても、大衆は信任する。

 無駄を削減して、バラマキの公約を実現する。これは、予想通り、早くも出来そうにありません。
財政は大赤字です。しかし、以前は、あれほど赤字がどうのこうのと自民党政権は批判されていたのに、どうでしょう、支持率は下がりません。

これが、この本でいうところの、魔術ですね。
現状に絶望した大衆は、矛盾と不可能のゆえに魔術にすがる。
だれも公約なんかできると思っていないが、それにすがるしかない。
魔術にすがらなければ、もとに戻ってしまう。
その魔術の奇跡を信じるしかない。
  と書いてあります。

ヒトラーも国民の熱狂的な支持を得て、政権を取ったのです。

このままいくと、不景気等で世の中に絶望した国民が増えるほど、
民主党の支持は盤石になるのではないかと思います。
次の選挙も民主党が大勝でしょうか。

映画 仏陀再誕じゃないですが、
国民は、TVを見ずに、平静さを取り戻し、この魔術、幻想から離れ、
地に足のついた理性的な判断をすべきです。
だめなものはだめです。


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