宮崎 駿 (72) 長編映画の製作から引退を表明    2013年 9月1日

  

公式引退の辞  宮崎 駿

ぼくは、あと10年は仕事をしたいと考えています。

自宅と仕事場を自分で運転して往復できる間は、仕事をつづけたいのです。
その目安を一応“あと10年”としました。

もっと短くなるかもしれませんが、それは寿命が決めることなので、
あくまでも目安の10年です。

ぼくは長編アニメーションを作りたいと願い、作って来た人間ですが、
作品と作品の間がずんずん開いていくのをどうすることもできませんでした。
要するにノロマになっていくばかりでした。

“風立ちぬ”は前作から5年かかっています。
次は6年か、7年か……それではスタジオがもちませんし、
ぼくの70代は、というより持ち時間は使い果たされてしまいます。

長編アニメーションではなくとも、
やってみたいことや試したいことがいろいろあります。
やらなければと思っていること
――例えばジブリ美術館の展示――も課題は山ほどあります。

これ等は、ほとんどがやってもやらなくても
スタジオに迷惑のかかることではないのです。
ただ家族には今までと同じような迷惑をかけることにはなりますが。

それで、スタジオジブリのプログラムから、
ぼくをはずしてもらうことにしました。

ぼくは自由です。
といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう。

土曜日を休めるようになるのが夢ですが、
そうなるかどうかは、まぁ、やってみないと判りません。

ありがとうございました。   以上。2013,9,4







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監督の歴史観はさておき、ジブリの作品、大好きです。
製作から引退するとしても、違う形で作品に関わってくれると期待!
ジブリ02 ジブリ03


■ 宮崎駿 監督 「長編映画の製作から引退」 2013.9.1 NHK

宮崎駿監督「長編映画の製作から引退」


■ 宮崎駿監督、引退を表明 アニメ「風立ちぬ」を最後に 2013.9.1 朝日

宮崎駿監督「長編映画の製作から引退」02
宮崎駿監督=郭允撮影



■ 宮崎駿 監督 「長編映画の製作から引退」 2013.9.1 NHK

宮崎駿監督「長編映画の製作から引退」

世界的にも知られるアニメーション映画の巨匠、宮崎駿監督が、「長編映画の製作から引退する」と、製作会社のスタジオジブリが発表しました。宮崎監督の最新作は、現在、イタリアで開かれている世界三大映画祭の1つ、ベネチア国際映画祭に出品されていて、三大映画祭に作品がノミネート中の監督の引退発表は異例です。これは、スタジオジブリの星野康二社長が、映画「風立ちぬ」がノミネートされているイタリアのベネチア国際映画祭で記者会見を開き、明らかにしました。宮崎監督は東京都出身で72歳。大学を卒業後、アニメーターとなり、繊細な動きや独特の世界観でアニメーション映画の表現の領域を広げてきました。「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」、「もののけ姫」などのヒット作で知られ、中でも平成13年に発表した「千と千尋の神隠し」は、日本で上映された映画の歴代興行収入の1位を記録し、今もその記録は破られていません。「千と千尋の神隠し」は、アメリカのアカデミー賞の長編アニメーション映画賞を受賞するなど、海外でも高い評価を受け、宮崎監督は、こうした長年の功績から去年、文化功労者にも選ばれています。イタリアでの会見で星野社長は、「宮崎監督は長編映画の製作から引退する」と述べて、「風立ちぬ」以降は長編映画の製作からは引退することを明らかにしました。世界三大映画祭に作品がノミネート中の監督の引退発表は異例です。映画「風立ちぬ」は、平成20年に公開された「崖の上のポニョ」以来、5年ぶりの長編映画で、旧日本軍の戦闘機「ゼロ戦」の設計に当たった故堀越二郎さんをモデルに、震災や戦争など、困難な時代を懸命に生き抜いた男の姿を描いた作品です。宮崎監督が作った長編映画は最新作を含めて11本で、ことし7月、NHKの取材に対して宮崎監督は、「毎日、時間がないから体調を崩さないように努力してきました。長編というのは、いつでも最後の作品だと思ってやってきました」と語っていました。




■ 宮崎駿監督、引退を表明 アニメ「風立ちぬ」を最後に 2013.9.1 朝日

スタジオジブリの宮崎駿監督(72)が、第70回ベネチア国際映画祭のコンペ部門に参加しているアニメ「風立ちぬ」を最後に引退することになった。9月1日午後(現地時間)にベネチアで開かれた公式会見で、ジブリの星野康二社長が明らかにした。 記者会見の最後、星野社長は「発表があります」と切り出し、「『風立ちぬ』を最後に、宮崎駿監督は引退することを決めました」と話した。会場では驚きの声が上がるとともに、拍手がわき起こった。星野社長は「今週、本人による記者会見を東京で開きます。それまで引退に関する質問は一切受けません」と話した。 ・・・





■ 人生の大半 アニメ制作に注ぐ   2013.9.6 NHK

日本のアニメーション映画の第一人者として活躍してきた宮崎駿監督は、これまでの人生の大半をアニメーションの制作に注いできました。

宮崎さんは東京都出身。昭和16年1月、4人兄弟の次男として生まれました。
学習院大学を卒業後、アニメーションの制作会社に入社し、4年先輩の高畑勲監督と出会って、映画「太陽の王子ホルスの大冒険」などの製作に携わります。その後、所属するプロダクションを変えながらテレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」や昭和53年に放送されたNHKで初めての30分のアニメシリーズ、「未来少年コナン」などを制作して人気を集めました。

昭和54年には、「ルパン三世カリオストロの城」で映画監督としてデビュー。
続いて発表した「風の谷のナウシカ」では、人間と自然の関係性を壮大なスケールで描き、高い評価を得ました。

昭和60年には製作会社のスタジオジブリを設立して独立し、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「もののけ姫」など数多くの作品を大ヒットさせ、子どもから大人まで幅広い世代でファンを獲得。日本を代表するアニメーション映画監督の地位を築きました。

中でも、平成13年に公開した「千と千尋の神隠し」は、国内の歴代興行収入1位の304億円を記録したほか、ドイツのベルリン国際映画祭の最高賞「金熊賞」やアメリカのアカデミー賞の長編アニメーション映画賞を受賞するなど、世界的にも高く評価されました。また、平成16年は、「ハウルの動く城」がイタリアのベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を争うコンペティション部門に日本のアニメーション映画で初めて出品され、その翌年には優れた映画を作り続けた監督や俳優に贈られる「栄誉金獅子賞」を日本の映画監督で初めて受賞しました。さらに5年前には、「崖の上のポニョ」もベネチア国際映画祭でコンペティション部門にノミネートされ、芸術性の高い作品に贈られる「ミンモ・ロッテラ財団賞」を受賞しました。
宮崎さんは、こうした長年の功績から去年、文化功労者にも選ばれています。




■ 宮崎駿監督「僕の長編アニメーションの時代は終わった」 2013.9.6 NHK

宮崎駿監督「僕の長編アニメーションの時代は終わった」
アニメーション映画の巨匠、宮崎駿監督は6日午後、東京都内で記者会見し「僕の長編アニメーションの時代はもう終わった」と語り、最新作「風立ちぬ」をもって引退することを正式に発表しました。

引退会見は、東京都内のホテルで6日午後2時から始まりました。
このなかで宮崎さんは「何度もこれまでやめると言って騒ぎをおこしてきた人間ですが、今回は本気です」と笑顔で語りました。
そのうえで引退を決めた理由について「(最新作の)『風立ちぬ』は(前作の)ポニョから5年かかっている。次の作品を考えると5年じゃすまない。6年か、7年か。僕の長編アニメーションの時代はもう終わったんだ」と述べ、年齢を重ねるごとに創作にかかる時間が延びていることが背景にあることを明らかにしました。
一方「短編映画は制作するのか」という質問に対して、宮崎さんは「僕は自由。やってもやらなくても自由です。でも今はそのことに頭を使うことはしません」と前置きしたうえで「今後は前からやりたかったことをやる。それはアニメーションではありません」と述べ、短編映画の製作を現時点では考えず、別の仕事に専念する考えを示しました。
しかし、そのやりたいことの内容については「やれなかったらみっともないから言いません」と明言を避けました。
現在館主を務めている東京・三鷹市の三鷹の森ジブリ美術館での仕事には、今後も「関わっていく」ということです。
会見場にはアメリカやフランス、ロシア、中国、韓国など、海外のメディアも含めおよそ600人が訪れ、アニメーション映画の巨匠の引退を惜しむ質問が相次ぎました。
海外メディアの関心も高く

6日の記者会見にはおよそ600人が取材に訪れ、並んだテレビカメラの数は70台にのぼりました。
また、海外メディアの関心も高く、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、スペイン、スウェーデン、ロシア、中国、韓国、シンガポール、台湾、香港と、13の国と地域の新聞社やテレビ局などが宮崎監督の引退会見の様子を世界に伝えました。
このうち、フランスのAFP通信社の女性特派員は「フランスでも宮崎監督の作品はそれまで子供のものだったアニメーションを、大人も見たいものにしてくれました。『風立ちぬ』も公開を待っている人がたくさんいます。会見では引退について少し曖昧だと思いましたが、今後も短編は作ると思う。フランスでも間違いなくトップニュースになります」と話していました。
また、台湾のテレビ局の男性リポーターは「台湾でも宮崎作品はとても人気があります。引退は本当に残念ですが、短い作品でもまた作って、私たちを楽しませてくれると期待しています」と話していました。
30年間緊張の糸あった

6日の宮崎駿監督の引退の記者会見には長年、宮崎監督とコンビを組んで映画の製作に携わってきたスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーも同席しました。
会見の冒頭、鈴木さんは「始まったものは必ず終わりがくる。そういうものだと思います。落ちぶれて引退するのはかっこ悪いと思っていました。ちょうど今『風立ちぬ』が公開されて、それが支持されているなかでこういうことを決めたのはよかった」と、心境を語りました。
そして、宮崎監督から引退を告げられた時のことについて尋ねられた鈴木さんは「いつ告げられたか正確には覚えていませんが、『風立ちぬ』が完成したのが6月19日、その直後じゃなかったかと思います。これまでにも、これで最後だという話はありましたが、今回は本気だなと感じざるを得ませんでした。ナウシカの制作を始めてから30年になりますが、30年間ずっと緊張の糸があったと思います。その緊張の糸が宮さんに引退を告げられた時に少し揺れたんですよね。別の言い方をすると、僕自身がほっとするところがあったんです。若い時だったら、それをとどめさせようとかいう気持ちも働いたと思いますが、自分の中で、本当にご苦労さまでした、という気分が湧きました」と語っていました。
そのうえで「僕自身はことし11月に高畑勲監督の『かぐや姫の物語』を公開しないといけないので、途切れかかった糸を縛ったりして仕事を続けています」と述べるとともに、来年の夏を目指して、スタジオジブリでもう1本、映画を制作していることを明かしました。
歌い続けていられるのは宮崎監督のおかげ

宮崎監督の代表作、「となりのトトロ」の主題歌などを歌った歌手の井上あずみさんは、宮崎監督の引退について、6日午後、NHKの番組のなかで「本当に残念です。今も歌い続けていられるのは宮崎監督のおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです」と話しました。
また、映画「天空の城ラピュタ」の主題歌「君をのせて」の歌手として抜擢され、28年前に初めて宮崎監督に会った時のことについて、井上さんは、「校長先生のような柔らかい印象の方でした。その後、2歳になる私の娘に『おじちゃんはね、君たちみたいな小さい子がおもしろかったって言ってくれる作品が作りたいんだよ』と話しかけていました」と思い出を振り返りました。





■ 宮崎駿監督 引退会見 「僕は自由です」  2013.9.6 NHK

宮崎駿監督 引退会見(1)「僕は自由です」

会場に集まった国内外およそ600人の報道陣を前に、
「僕の長編アニメーションの時代はもう終わった」と語った宮崎駿監督。

終始おだやかに、笑みを交えながら心境を語った記者会見の一問一答を掲載します。

宮崎監督:

「公式引退の辞」というメモを、皆さんにコピーしてお渡ししてありますので、質問をいただければそれに答えるという形にしたいんですが。ひと言、僕は「もう何度もやめる」と言って騒ぎを起こしてきた人間なので、どうせまただろうと言われているかも知れませんが、今回は、本気です。

鈴木プロデューサー:

始まったものは必ず終わりが来るものだと思います。僕の立場で言うと、落ちぶれて引退するのは格好が悪いと思っていましたので、ちょうど「風立ちぬ」という映画が公開されてて、それがいろんな方に支持されているときにこういうことを決めた、というのがよかったと思います。
皆さん今後、ジブリはどうなるのかと、当然疑問を持たれると思います。
11月23日に公開の高畑勲監督の「かぐや姫の物語」で皆さんにご心配をかけましたけれども、鋭意制作中、大体めども見えてきました。引き続きまして、企画は発表できないが、来年の夏を目指してもう1本、映画を鋭意制作中です。

僕は「自由」です!

記者:
引退の報道を受けて、子どもたちからもたくさんことばが届いている。子どもたちにメッセージは。

宮崎:
あの、そんなにかっこいいことは言えません。まあ何かの機会があれば、作ってきた映画を見てくれれば何か伝わってくれるかも知れません。それにとどめさせてください。

記者:
長編アニメーションの監督を辞めるという理解でよいのか。これからやっていきたいことは。

宮崎:
ここに(「公式の辞」)われながらよく書いたなと思っているんですが、僕は自由です、と書いたのでやらない自由もあるんです。ただ、車が運転できる限りは毎日アトリエに行こうと思っています。それでやりたくなったものはやろうと思っています。まだ休息をとらなくてはいけないと思うので、休んでいるうちにいろいろ分かってくると思うのですが、ここで約束するとたいてい破ることになると思うので、ご理解下さい。

記者:
「風の谷のナウシカ」の続編をこの先、作られる予定はありますか。

宮崎:
それはありません。

記者:
韓国のファンにもひと言。韓国で話題になっているゼロ戦についての考えを。

宮崎:
映画を見ていただければ分かると思っていますので、いろいろなことばに邪魔されないで見ていただければいいなと思っています。いろんな国の方々が私たちの作品を見てくださっているのはうれしい。それと同時に「風立ちぬ」の作品のモチーフそのものが、日本の軍国主義が破滅に向かっていく時代を舞台にしていますので、いろいろな疑問が私の家族からも友人からもスタッフからも出ました。それにどういう風に答えるかということで映画を作りました。ですから映画を見ていただければ分かると思います。映画を見ないで論じても始まらないので、ぜひ、お金を払って見ていただけるとうれしいなと思います。

記者:
今後、ジブリの若手監督の作品に監修などで関与する予定はありますか。

宮崎:
ありません。僕の長編アニメーションの仕事は終わった

記者:
「今回は本気です」とのことですが、今までと何がいちばん違うのでしょうか。

宮崎:
「風立ちぬ」はポニョから5年かかっているわけです。もちろんその間、映画を作り続けたわけではなくてシナリオを書いたり、自分の道楽の漫画を描いたりとか、美術館の短編をやるとか、いろんなことをやっていましたが、やはり5年かかるんです。今、次の作品を考え始めますと、たぶん5年じゃ済まないでしょうね、この年齢ですから。あと3か月もすれば、私は73歳になりますから、それから7年かかると80歳になってしまうんです。この前お会いした文藝春秋の元編集長だった半藤一利さんは83歳でしたが、背筋が伸びてよい先輩がいると思ったが、僕も83になってこうなってたらいいなと思いますから、あと10年は仕事を続けますと言っているだけでして、今までの延長上には自分の仕事は無いだろうと思っています。そういうことで、僕の長編アニメーションの仕事ははっきり終わったんだと、もし自分がやりたいと思っても、それは年寄りの世まい言であるとと片づけようと決めています。

引退を決めたのはことし6月

記者:
鈴木さんと引退のタイミングを決めたのは。その時の会話は。

宮崎:
よく覚えていないんですが、「鈴木さん、もうだめだ」とか言ったことはあります。鈴木さんは「そうですか」と。
それは何度もやってきたことなんで、鈴木さんが信用したかどうかは分かりませんが、ジブリを立ち上げたときに、こんなに長く続けるつもりが無かったことは確かです。ですから何度も「もう引き時なんじゃないか」とやってきましたので、今回は本当に次は7年かかるかも知れないと言うことに鈴木さんもリアリティを感じたんだと思います。

鈴木:
正確には覚えていないが、「風立ちぬ」の初号があったのが、6月19日なんですよ。たぶんその直後だったと思うんですよね。確かにこれまでも、「これが最後だ」、「これが最後だと思ってやっている」、とか話があったんですけれども、今回は本気だなと感じざるを得ませんでした。というのは、僕自身がナウシカから数えてことしがちょうど30年目に当たるんです。その間いろいろありました。僕もそれまで30年間、緊張の糸がずっとあった。今回宮さんからそのことを言われたとき、その糸が揺れた、僕自身がほっとするようなところもあった。若いときだったらとどめさせようとかそういう気持ちも働いたと思うんですけれども、本当にご苦労さまでしたという気分がわいた、そういうこともあると思います。僕自身は「かぐや姫の物語」を公開しなくてはいけないので、途切れかかった糸をもう一度締め直して仕事をしている最中なんですけど。それを皆さんにお伝えする前に、まずはスタジオで働くスタッフにまず言わなきゃいけないと思いました。映画を公開前に引退を発表すると話がややこしくなると思ったんですよ。映画を公開をして、ある落ち着いた時期、実は社内では8月5日にみんなに伝えました。映画の公開が一段落した時期に皆さんにも発表できるかなと、そうなると9月のあたまですよね、と考えたことは確かです。

記者:
台湾の観光客はジブリ美術館は必ず立ち寄る場所ですが、引退後は旅行をして海外のファンと交流する予定は。

宮崎:
いえ、私はジブリの美術館の展示に関わりたいと思っていますのでボランティアの形になるかも知れませんが。自分も展示品になっちゃうかもしれませんが、ぜひお越しいただきたい。

記者:
鈴木さんに。「風立ちぬ」が最後という予感はあったのか。
宮崎監督には、この映画を最後にすると言う引き際についての美学があれば。

鈴木:
僕は宮さんとつきあってきて、彼の性格からして、ずっと作り続けるのではないかと思っていました。死ぬ間際までと予感していました。その一方で、宮さんという人は別のことをやろうと、みんなに宣言する人なんです。もしかしたら、これが終わったら別のことに取りかかる、そのどちらかだろうと思っていました。「風立ちぬ」という作品を作って、その直後にというのは予想の中に入っていましたから、素直に受け止めることが出来ました。

宮崎:
映画作るのに死にものぐるいで、そのあとのことをあまり考えてなかった。それよりも映画が出来るのかとか、これは映画になるのかとか作るに値するのかということのほうが自分にとっては重圧でした。

記者:
監督は外国のアニメーション作家から影響を受けたと以前伺った。ロシアのノルシュテイン監督からの影響については。

宮崎:
ノルスシュテインは友人です。負けてたまるかという相手でございまして。きょう実は高畑勲監督も一緒にと誘ったら、「冗談ではない」という顔をされまして、断られまして。彼はずっとやる気だなと思っています。

一番に残っているのは「ハウル」

記者:
あえて挙げるなら最も思い入れのある作品、すべての作品に通じるメッセージは。

宮崎:
いちばん自分の中にとげのように残っているのは「ハウルの動く城」です。ゲームの世界なんですけれど、それをドラマにしようとした結果、まあ、本当に格闘しました。スタートが間違っていたと思うんですけど、自分が立てた企画だから仕方ありません。

僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入った人間ですので、基本的に子どもたちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければならないと思ってきました。それは今も変わっていません。

記者:
イタリアを舞台にした作品多いですが、イタリアが好きなのですか。半藤さんは83歳でご立派ですが、日野原先生を目標にしたらどうか。また、ジブリの美術館で館長として働いたら喜ばれると思います。

宮崎:
イタリアは好きです。まとまっていないところも含めて好きです。友人もいるし、食べ物もおいしいし、女性は美しいしイタリアは好きです。半藤さんのところに10年行けばたどり着くのか、その間仕事を続けられればいいなと思っているだけで、それ以上望むのはちょっと、半藤さんにはずっと歩いていてほしいです。それから館長になって入り口でいらっしゃいませというよりは、展示のものが10年以上前に描いたものなので、色あせたり、ずいぶん描き直したいものがあるので、それを僕はやりたい。これは筆やペンで描いたりしなくてはいけないので、ぜひ時間が出来たらやりたい。ずっとやらなければいけないと思っていた。

美術館の展示品というのは、毎日掃除しているのにいつの間にか色あせてくるんです。その部屋に入ったときに全体がくすんで見えるんです。そのくすんで見えるところを1か所きらきらさせると、たちまちそこに子どもたちが群がることが分かったんです。美術館を生き生きさせていくためには、ずっと手をかけ続けなくてはいけないことは確かなんで、それを出来るだけやりたい。

ジブリの今後は

記者:
宮崎監督に長編はこれで引退ということだが、短編アニメーションに関わることはあるのか。鈴木さんに、来年夏にも映画の公開が控えているが、ジブリの今後は。

宮崎:
引退の辞に書きましたように僕は自由、やってもやらなくても自由なので、そちらに頭を使うことはしません。前からやりたかったことがあるので、それはアニメーションではありません。

鈴木:
ジブリはこれからどうするのか。僕はいま現在、この「かぐや姫の物語」のあと、来年の映画に関わっています。僕も年齢が65歳で、このじじいがどこまで関わるのかという問題があると思うが、実は、今後のジブリの問題は今、ジブリにいる人の問題でもあるんですよ。その人たちがどう考えるのか、それによって決まると思います。

宮崎:
ジブリの今後については、やっと上の重しが取れるんだから、こんなことをやらせろというのが若いスタッフから鈴木さんに話が挙がっていくのを期待していますけどね。それが無いとだめですよね。鈴木さんが何やっても。僕らは30の時にも40の時にも、やっていいんだったら、何でもやるぞという覚悟でいろんな企画を抱えていましたけど、それを持っているかどうかにかかっていると思います。鈴木さんは、それを門前払いを食らわす人ではありません。今後はいろんな人間の意欲や希望や能力にかかっていると思います。

記者:
「風立ちぬ」が長編の最後となったが、ほかにやってみたかったものは。

宮崎:
それは山ほどあるんですけれど、やってはいけない理由があったからやらなかったわけなんで述べようもない。それほどの形になっていないものばかりです。やめるといいながらこういうのやったらどうなんだろうというのは、頭に出たり入ったりするのはあるけど、それは人に語るものではありませんのでご勘弁ください。

記者:
「僕は自由です」と言いましたが、今後は具体的にやりたいことは。
日本から海外にいろんなことを発信された貴重な監督だが、今後、違う形で発信する予定はあるのか。

宮崎:
やりたいことはあるけど、やれなかったらみっともないので、何なのか言いません。それと僕は文化人になりたくないんです。僕は町工場のおやじでして。だから発信したいとかあんまりそういうこと考えない。文化人ではありません。



時代に追い抜かれた感じがしたことも

記者:
当面は休息を優先するのか。「風立ちぬ」を作るに当たって、東日本大震災や原発事故が与えた影響は。

宮崎:
「風立ちぬ」の構想は、震災や原発事故によっては影響はありません。映画を始めるときに初めからあったものです。
映画を作りながら、時代に追いつかれて追い抜かれた感じがありました。僕の休息は他人から見ると休息に見えないものでして、仕事も好き勝手なことやっていると、大変でもそれが休息になることがあるので、ごろっと寝転がっていると返って疲れるだけなので、まあ夢としては東山道を歩いて、京都まで歩けたらいいなと思うんですけど、途中で行き倒れになる可能性があるが。それは時々夢見ますけど不可能だと思います。

記者:
「時代に追いつかれ追い抜かれた」のことばと引退は関係あるのか

宮崎:
関係ありません。皆さん、アニメーションの監督が何をやっているかよく分からないと思うけどアニメーションの監督といってもみんな仕事が違います。僕はアニメーター出身なもので、描かなくてはいけないんです。そうするとどういうことが起こるかというと、メガネを外してですね、こうやって描かなきゃいけないわけです。これを延々とやっていかなきゃいけないんですけど、どんなに体調を整えて節制していても、それを集中していく時間が年々減っていることは確実なんです。それを実感しています。例えば、ポニョのときに比べると机を離れるのが30分早くなっています。この次は1時間早くなるんだろうと、その物理的な加齢によって発生する問題はどうすることもできませんし、それでいらだってもどうしようもないんです。違うやり方をすればいいじゃないかという意見があると思いますが、それが出来るならとっくにやっていますから、できません。僕は僕のやり方で貫くしかないので、長編アニメーションは無理だと判断したのです。記者:今や、クールジャパンと言われる日本のアニメーションの世界をどう思うか

宮崎:
まことに申し訳ないんですが、私が仕事をやるということは、いっさい映画も見ないテレビも見ない生活をすることです。ラジオだけ朝はちょっと聞きます。新聞はぱらぱらと見ますが、あとはまったく見ません。驚くほど見ていないんです、ジャパニメーションがどこにあるのかも分からないんです。
余談で話すわけにもいきませんから、それに対する発言権は僕には無いと思います。皆さんも私の年齢になって、私と同じデスクワークをやったら分かると思うんですが、そういう気を散らすことはいっさい出来ないんです。参考試写という形でスタジオの映写室で何本か映画をやってくださるんですけど、たいてい途中で出てきます。仕事をやった方がよいと思って。そういう不遜な人間なので今が潮だなと思います。

記者:
過去の映画監督は引退宣言をされずに引退した人も多いが、あえてしたのは。

宮崎:
引退宣言をしようと思ったのではないんです、僕はスタッフに「もう辞めます」と言いました。その結果、プロデューサーからそれに関して取材の申し込みがあるがどうするかと言われ、いちいちそれを受けていたら大変ですよと話がありまして、じゃあ、僕のアトリエでやりましょうかと言いましたら、そしたら人数が多すぎて入りきらないと、じゃあ、スタジオの会議室でと言ったらそこも難しいと。そしたら、ここになっちゃったんです。
これは何か無いと口先だけでごまかすわけに行かないので「公式引退の辞」を書いたんです。こんなイベントをやる気はさらさら無かったんです。

記者:
宮崎作品は商業的な成功と芸術的な評価と両方されたが、宮崎映画のスタイルを表現してほしい、宮崎映画が日本映画に及ぼした影響、コメントを。

鈴木:
そういうことは、あまり考えないようにしている。そういう風にものを見ていくと目の前の仕事が出来なくなる。現実的にはナウシカ以来30年間関わっているが、ずっと走り続けてきて、過去の作品を振り返ったことはなかったんですよ。それがたぶん仕事を現役で続けることだと思っていたんです。自分たちの作品が世間に影響を与えたか、それも考えないようにしてきました。

宮崎:
まったく僕も考えていませんでした。再三、分岐点にたどり着いたって聞いたら、よかった。それで終わりです。

記者:
先ほどイタリアが好きだとお返事があったが、フランスはいかがですか。

宮崎:
正直に言いますね。イタリア料理の方が口に合います。
クリスマスにたまたまフランスに用事があって行ったときに、どこに行ってもフォアグラが出てきたんです。これはつらかった。ルーブルはよかったですよ。よいところはいっぱいありますけれど料理はイタリアの方が好きだ。
フランスのポール・グリモーという人の1950年代に公開された「やぶにらみの暴君」が甚大な影響を与えた。5つ先輩の高畑監督の世代には圧倒的な影響を与えたんです。僕らは少しも忘れていません。今、見てもその志とか世界の作り方については、本当に感動します。いくつかの作品がきっかけになって、自分はアニメーターをやっていこうと決めたわけですから、そのときにフランスで作られた映画のほうがはるかに影響を受けています。

記者:
宮崎監督が1963年に東映動画に入社してちょうど半世紀。振り返っていちばんつらかったこと、よかったことは。

宮崎:
スケジュールはどの作品もつらかった。終わりまで分かっている作品を作ったことがないんです。どれも見通しの無いまま作っていたので毎回ものすごくつらかった。最後まで見通せる作品は自分でやらなくてもいいと思い込んでいました。
絵コンテという作業があるんですが、まるで新聞連載みたいな作業で、月刊誌みたいに感じで。スタッフは、この映画がどこにたどり着くか分からないままでやっているんです。よく我慢してやっていたなと思うんですけど。そういうことが自分にとってはいちばんしんどかったです。同時にカットを見て、これはああではない、こうではないといじくっていく過程で、前よりも映画の内容についての自分の理解が深まるというのも事実なので、それによってその先が考えられるというか、あんまり生産性には寄与しない方式でやりましたけど、それはつらいんです。とぼとぼとスタジオにやってくる日々で。そういう50年のうち何年そうだったのか、分かりませんけどもそういう仕事でした。
監督でよかったこと一度もない

記者:
監督になってよかったと思ったことについて

宮崎:
監督になってよかったと思ったことは一度もありませんけど、アニメーターになってよかったと思ったことは何度かあります。
アニメーターというのは、何でもないカットがかけたとか、うまく水が描けたとか、うまく水の処理ができたとか、光の差し方がうまくいったとか、そういうことで、まあ2~3日は幸せになれるんですよ。短くても2時間くらいは幸せになれるんです。
監督は最後に判決を待たなくてはいけないでしょ。これは胃によくないんです。ですから
、アニメーターは自分に合っているよい職業だったと思います。

記者:
ではなぜずっと監督をやってきたのか。

宮崎:
簡単な理由でして、高畑勲と会社が組ましたのではないです。労働組合の事務所で出会ってずいぶん長く話をしました。一緒に仕事をしたのが、ハイジが最初だったんですが、まったく相互に打ち合わせが必要の無い人間になっていたんです。こういうのを出した瞬間にお互いに何を考えているのか分かる人間になっていたのです。ですから、監督というのはスケジュールが遅れると会社に呼び出されて怒られると、高畑勲は始末書をいくらも書いていましたが、そういうのを見るにつけ、僕は監督はやりたくないと思っていました。まして、音楽やなにやらかんやら、修行もしていない。だからある時期が来て、おまえ一人で演出をやれと言われても途方に暮れたんです。音楽家と打ち合わせと言われても、何を打ち合わせていいか分からない、よろしく、と。
初めからまったく監督や演出をやろうと思った人間ではないんです。それをやったんで、
途中、高畑監督に助けてもらったこともありますけど。その戸惑いは「風立ちぬ」まで引きずってやってきました。
映画の演出をやろうと思ったパクさん(高畑監督)と絵を描けばいいんだという僕の修行は全然違うんです。監督をやっている間も僕はアニメーターとしてやっていたので、多くの助けやとんちんかんがいっぱいあったと思うんですけど、それについてはプロデューサーがずいぶん補佐してくれました。つまり、映画もテレビも見ないから、どういうタレントがいるとか何も知らないんです。すぐ忘れるんです、僕は。これはチームというか腐れ縁があったおかげでやってこれたと思います。
決然と立って、ひとりで孤高を保っている監督では全然無かったです。分かんないものは分かんないとやってきました。

記者:
高畑さんの「かぐや姫の物語」は見ているかと。

宮崎:
全然見てません。きょうここに並ぼうよと持ちかけたが「いやいや」と、まだまだやる気だと思いました。


「風立ちぬ」問題のラストシーンは

記者:
「風立ちぬ」最後の場面、「あなた来て」のせりふから「あなた生きて」に変更したと聞いたが、今、変えたことについて長編最後の作品として悔いはないか。

宮崎:
「風立ちぬ」の最後は本当にはんもんしましたが、なぜはんもんしたかというと、とにかく絵コンテをあげないと制作デスクの「さんきち」という女の子が、本当におそろしいんです。ほかのスタッフと話していると、床に「10分にして下さい」と張られたり、机の中にいろんなしった激励のことばが張ってありまして。絵コンテを形にしないことにはどうにもならないので、いろんなペンディング事項があるけど、とにかく形にしようとしたのが、追い詰められた実態です。それで、やっぱりこれはだめだなと思いながら、絵が描かれていても、せりふは変えられますから、その時間に冷静になって仕切り直しをしたんです。最後の草原はいったんどこなんだろう、これは、れん獄であると仮説を立てたんですね。ということは、カプローニも堀越二郎も亡くなって再会している。
菜穂子はベアトリーチェだ、だから、迷わないでこっちに来なさいとやっていたら、自分でこんがらがって、それをやめたんです。

記者:
長編アニメーションの映画の世界観を伝えられた達成感はあるのか

宮崎:
その総括はしていません。自分が手抜きしたという感覚があったら暗いんですけれども、とにかくたどり着くところまではたどり着いたといつも思ってましたから、終わったあとはその映画は見ませんでした。だめなところは分かっているし、いつの間にか、それが直っていると言うことも無いので、振り向かないようにやっていました。同じことはしないつもりで、やってきたつもりです。

頭に来ていた40代

記者:
ジブリを立ち上げたのが40代の半ばだったと思うが、今まで日本の社会はどういう風に変わってきたと感じているか。どんな70代にしたいのか。

宮崎:

ジブリを作ったときの日本のことを思い出すと、経済大国になって浮かれ騒いでいたと思う。日本はすごいんだ、とか。それについて、かなり頭に来ていました。頭に来ていないとナウシカなんか作りません。ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便というのは、基本的に経済は勝手ににぎやかだけど心のほうはどうなんだ、ということを巡って作っていたんです。

でも1989年にソ連が崩壊して、日本のバブルもはじけています。その過程でもう戦争が起こらないと思っていたユーゴスラビアが、内戦状態になるとか本当に歴史が動き始めました。今までの自分たちが作ってきた作品の延長上に作れないという時期が来たんです。その時に豚を主人公にしたり、高畑監督はたぬきを主人公にしたりして切り抜けたんです。それから長い下降期に入ったんです。それから失われた10年は失われた20年になり、半藤さんは失われた45年になると予想しています。僕らのスタジオっていうのは、経済の上り調子のバブルの崩壊する、ここのところに引っかかったんです。それがジブリのイメージを作ったんです。
そのあと、じたばたしながら「もののけ姫」を作ったりやってきましたけれども、「風立ちぬ」まで、ずるずると下がりながら、これはどこに行くんだろうと思って作り続けた作品です。ただ、ずるずるが長くなりすぎると最初に引っかかったナウシカ以降の引っかかりが持ちこたえられなくなって、どろっていく可能性はあるんじゃないか。抽象的な言い方で申し訳ありませんが、僕の70というのは、ずるずると落ちていくときに、友人や隣の保育園の子どもたちがいるなかで、なるべく背筋を伸ばしてきちんと生きなければいけないと思っています。

記者:
中国のジブリファンの代わりに。将来、中国で上映する可能性は。

星野社長(スタジオジブリ):
ご存知のとおり、中国には外国映画の本数規制があり、規制緩和はされていますがまだまだ本格的に日本映画が上映できる流れではありません。前向きに考えてはいるが、現時点ではジブリ作品が上映される状況ではありません。

記者:
監督がお好きな映画作品、監督は。

宮崎:
今の作品を全然見ていないんで。ピクサーのジョン・ラスターは友人です。競争相手ではないと思っていません。今の映画見てないんです。本当に。だからすみません。
高畑監督の作品は見ることになると思いますが、まだ、のぞくのは失礼なのでのぞかないようにしています。

記者:
「風立ちぬ」に庵野監督やアルパートさんのゆかりの深い起用、どんな思いがあったんでしょうか。

宮崎:
渦中にいる人は気がつかないと思うんです。映画もテレビも見ていないんです。
「風立ちぬ」を作っている間、自分の記憶の中によみがえっているのはモノクロ時代の映画です。昭和30年以前の作品です。暗い電気の下で生きるのに大変な思いをしている若者や男女が出てくる作品ばかり見ていたんで、そういう記憶がよみがえるんです。
それと、今のタレントさんのしゃべり方を聴くと、がく然とします。何という存在感の無さだろう、と。庵野もアルパートさんも存在感だけです。かなり乱暴だったと思うんですけど、そのほうが映画にぴったりです。
菜穂子をやっていただいた方なんかも、みるみるうちに菜穂子になってがく然としました。そういう意味で「風立ちぬ」は、ドルビーサウンドだけで、ドルビーではない音にしてしまう。それと「がや」は20人も30人も集めてやるんじゃなくて、音響監督は2人で済んだ、と聞いています。つまり、昔の映画はそこでしゃべっているところでしか、マイクは向けられないから、回りでどんなにほかの人間がしゃべっていてもそれは映像には出てこないんですよ。そのほうが世界は正しいんです。それが、24チャンネルになったらあっちに声を付けろ、こっちにも声を付けろって。全体をばらまいた結果、情報量は増えているけれども、表現のポイントはものすごくぼんやりしたものになっているんだと思います。それで、思い切って、美術館の短編をやっていくうちに、これで行けるのではないかと思っていたのですが、プロデューサーがまったくためらわず、それで行こうと言ってくれたのがうれしかったですね。音響監督も同じ問題意識が共有できていて、それが出来たって、こういうこと
ってめったに起こらないと僕は思います。これもうれしいことでしたが、いろんなポジションの責任者が、色だとか背景だとか動画のチェックをする人が、制作デスクの女性も音楽の久石さんも、なんか円満な気持ちで終えたのは初めてなんです。もっととんがって、ぎすぎすしたところを残しながら終わったものですが、僕はつい、僕のお通夜みたいだといったんですけど、20年ぶり、30年ぶりのスタッフも集まってやりました。そういうことも含めて、映画を作る体験としては非常にまれなよい体験として終われたので、本当に運がよかったと思います。

健康状態は?

記者:
監督はやせているように見えるが、今の健康状態は。

宮崎:
僕がアニメーターになったころ、体重は57キロでした。それが60キロを超えたのは結婚したせいなんですが、三度三度飯を食うようになってからです。
一時は70キロを超えました。そのころの自分の写真を見ると、みにくい豚のようで辛いんです。映画を作っていくために体調を整える必要がありますから、外食をやめました。
朝ご飯をしっかり食べて、昼ご飯は家内が作った弁当を持ってきて食べて、夜はうちへ返ってから食べるんですけれども、ご飯は食べないでおかずだけ食べるようにしました。
別にきつくないことが分かったんです。
女房の協力のおかげなのか、陰謀なのか分かりませんが、これでいいと思ってるんです。最後57キロになって死ねるといいなと思っているんです。
健康は、いろいろ問題があります。問題がありますが、とても心配してくださる方々がいて、寄ってたかっていろいろやらされますので、しょうがないので、それに従ってやっていますので、なんとかなるんじゃないかと思っています。
映画を一本作るとよれよれになります。どんどん歩くと体調が直ってくるんだけど、この夏はものすごく暑くて、上高地に行っても暑かったんで、呪われていると思ったんです。歩きが足りないんです。もうちょっと歩くともう少し元気になると思います。

記者:
町工場のおやじと称される監督がジブリから出している「熱風」を通じて、憲法を変えるのはもってのほかと題した文章を配信された理由は。

宮崎:
「熱風」から取材を受けて、思っていることを率直に話しました。ああいう記事になりました。訂正する気もありません。じゃあ発信し続けるかと言われると、僕は文化人じゃないので、その範囲でとどめていようと思います。鈴木プロデューサーが新聞で憲法について語ったんですよ。そしたら鈴木さんのところに脅迫が届くようになったんですよ。冗談でしょうけれども、電車に乗ると危ないと、ぶすっとやられるかもしれないとか、そういう話があって、これで鈴木さんが腹を刺されているのに知らん顔するわけにいかないから、だから僕も発言しよう、高畑監督も発言してもらって、3人いると的が定まらないだろうと思って発言しました。それが本当のところです。

今後の力を尽くす10年は

記者:
「力を尽くして生きろ、持ち時間は10年だ」ということばがあるが、監督のいつがその10年だったのか、この先どういう10年にしたいのか。

宮崎:
僕の尊敬している作家の堀田善衛さんが最晩年にエッセーで旧約聖書の「伝導の書」というのを「空の空なるかな」というエッセーで書いて下さったんです。
その中に、「汝の手に耐うることは力を尽くしてそれをなす」という文章があるんです。
その本はずっと私の手元にあります。
10年は僕が考えたことではありませんが、絵を描く仕事は、38歳くらいにだいたい限界が来て死ぬやつが多いから気を付けろと絵の先生に言われていたんです。だからだいたい10年と思っていた。僕は18歳の時に絵の修行を始めましたので、
実際に監督になる前にアニメーションというのは世界の秘密をのぞき見ることだ、
風や人の動きや表情やまなざしや体の筋肉の動きに世界の秘密があると思える仕事なんです。それが分かったとたんに、自分の選んだ仕事が非常に奥深くて、やるに値する仕事だと思った時期があるんです。その10年は何となく思い当たります。その時自分は一生懸命やっていたと。
これからの10年はあっという間に終わるだろうと思っています。だって美術館作ったのが10年以上たっているんです。これからさらに早いだろうと思っています。それが私の考えです。



奥様は「ふん」

記者:
監督が引退を決定したことを奥様にどのように伝えたのか。奥様はどういう反応。
子どもたちに「この世は生きるに値する」と伝えたかったと言っていたが、2013年のこの世の定義も変容したのか。

宮崎:
家内には「こういう引退の話をしたという風に言いました。お弁当は今後もよろしくと言ったら「ふん」と言われました。常日頃、この年になって弁当を作っている人はいないと言われておりますので、まことに申し訳ないと思っているのですが、またよろしくお願いしますと。というのは、もう、外食が向かない人間に改造されてしまったんです。
ずっと前にしょっちゅう行っていたラーメン屋に行ったら、あまりのしょっぱさにびっくりして。
また、「この世は生きるに値する」については、自分が好きなイギリスの児童文学作家にロバート・ウェストールの作品に、自分の考えなくてはいけないことが充満していて、
この中で、こういうせりふがあるんです。「君はこの世で生きて行くには気立てがよすぎる」というせりふがありまして、少しも褒めことばではなく、そんなことでは生きていけないぞと言っているんですが、本当に胸を打たれました。僕が発信しているのではなく、僕はいっぱい受け取っているのだと思います。多くの読み物とか昔見た映画とか、僕が考案したものではない。僕が繰り返し、生きるに値するんだ言い伝え、、ほんとかなと思いながら死んでいったのではないか、それを僕も受け継いでいるんだと思います。

記者:
鈴木さんに。引退発表の場所とタイミングは、なぜ、ベネチアで映画祭の会期中に。

鈴木:
ベネチアでコンペの出品要請は直前のことでした。
実は発表のスケジュールは決めていたが、そこに偶然ベネチアのことが入ってきた。宮さんには外国の友人も多いじゃないですか。そしたらベネチアで発表したら、一度に発表できるなと考えたわけです。

メッセージは込めない

記者:
これまでも文学の作家の名前が出てきました。富山県出身の堀田善衛。先生も大変お好きで、学生時代からよく読んでおられるということでうかがっております。今回の「風立ちぬ」の映画の中でも、「力を尽くせ」という言葉とか「生きねば」というメッセージに込められていると思いますが、改めて最後の集大成の作品になった「風立ちぬ」に、堀田善衛から引き継いだメッセージのようなもの、監督自身どんな思いを込めて作ったのか教えてください。

宮崎:
自分のメッセージを込めようと思って、映画は作れないんですよね。何か、自分がこっちでなければと思ってそっちに進んでいくことに何か意味があるのだろうかと。自分の意識で捕まえることはできないんです。捕まえられるところに入っていくと、大抵ろくでもないところに行くので。自分でよく分からないところに入って行かざるをえないんです。そしてそれが、最後に風呂敷を閉じなければなりませんから、映画って。最後に未完で終わってよいならそんなに楽なことはないんですけど。
しかも、いくら長くても2時間が限度ですから。刻々と残りの秒数が減っていくんですよね。それが実態でして。せりふとして「生きねば」とかいうのがあったから、それはたぶん鈴木さんがどっかから引っ張り出してきて、ポスターに僕が書いた「風立ちぬ」という字よりも大きく「生きねば」と書いて。これ鈴木さんが番を張っているなと、僕は思ったんですけど。そういうことになって、僕が「生きねば」と叫んでいるように思われているますけど、僕は叫んでおりません。でも、そういうことも含めて、設定をどういう風にやるか、どういう風に展開していくかというのは、鈴木さんと死にものぐるいでやっていますから。僕はそれを全部任せるしかありません。というわけで、いつのまにか、ベネチアに人がいっているという。その前に、なんとか映画祭に出ませんかと言われて「いや勘弁してください」とか、かんとか映画祭があるんですけどどうですか「勘弁してください」とか、ベネチアについては何も聞かれなかったんですけど。
そういえばそうですねと、さっき言っていましたけど。しらを切っていますけど。そういうことで、コメントを出していますよ、皆さん。

ベネチアに関して今思い出しました。僕はリドア島は好きです。リドア島とカプローニの子孫、孫がたまたま紅の豚を見てですね。自分のおやじの83年やっていた会社の歴史ですね、飛行機の図面、構造図を描いたこんな大きな本で、しかも日本に1冊しかないと思うんですけど、突然イタリアから送ってきまして、いるならやるぞと書いてあったんです。いるならやるぞと日本語で書いていたわけではないんですけど、「ありがたくいただききます」というふうに返事を書きましたけど。それで僕は、写真で見た変な飛行機としか思っていなかったものの構造を見ることが出来たんです。ちょっと胸を打たれましてね。技術水準はドイツやアメリカに比べると、はるかに原始的な木を組み合わせるとかそんなものなんですけど、構築しようとしたものはローマ人が考えたようなことをやっている、この人は、と思ったんです。ジャンニ・カプローニという設計者は、ルネッサンスの人だと思うと非常に理解出来て、経済的基盤の無い中で航空会社をやっていくには、そうとうはったりやホラも吹かなきゃいけない。その結果作った飛行機が航空史の中に残っていることが分かって、ずっと好きになったんです。そういうことも、今度の映画の火種になっていますが、たまりたまったもので出来ているものですから、自分が抱えているテーマで映画を作ろうと思ったことはありません。ほとんど、僕のところにずっと先に送られてきた一冊の本とか。ずいぶん前ですよね、だから。そういう時にまかれたものがいつのまにか材料になっていく、ということを思います。

記者:
堀田善衛さんの文学の中にあるものを根底においているのかと、富山県民は思っているが、監督にとって堀田善衛さんはどんな存在なのか、教えて下さい。

宮崎:
初期、経済が上り坂になって、それからどんづまりになって、落っこってとか、そういう話をよく分かっているように言っていますけど、しょっちゅう分からなくなったんです。「紅の豚」をやる前も、世界情勢をどう読むのか分からなくなっている時に、堀田さんはそんな時に、さっと短いエッセイだけど書いたものが届くんですよ。それは、自分が、どこかに向かって進んでいるつもりなんだけど、どこへ行っているのかよく分からなくなることがあるとき見ると、本当にぶれずに堀田善衛さんという人は、現代の歴史の中に立っていました。見事なものでした。それで自分の位置が分かるということが何度もあったんです。本当に堀田さんがひょいと書いた「国家はやがて無くなるから」とか、そういうことばがそのときの自分にとってどれだけの助けになったかということを思うと、やっぱり大恩人の1人だと、僕は今でも思っています。

「風立ちぬ」のあとをどう生きるか

記者:
初期のころの作品は2年か3年間隔で発表していたが、今回は5年ということで、年齢によるもの以外に、創作の試行錯誤とか作品への思いとか、何か時間がかかる要因はあったのでしょうか?

宮崎:
1年間隔で作った年もあります。最初のナウシカも、ラピュタも、トトロも、魔女の宅急便も。それまで演出をやる前にいろんな材料がたまっていまして、出口があったらばっと出て行くという状態になっていたんです。その後は、さあ何を作るか。そういう時代になったから、だんだん時間がかかるようになったんだと思います。あとは、最初は僕は「ルパン三世カリオストロの城」は4か月半で作りました。それは、そんなに一生懸命にやって、寝る時間をさいてでも何とかもつというぎりぎりまでやると、お陰様で出来たんですが、そのときはスタッフ全体も若くて、それと同時に長編アニメーションをやることは生涯に1回あるかないかみたいな、そういうアニメーターたちの群れがいてですね、非常に献身的にやったからです。それをずっと要求しつづけるのは無理なんです。年もとるし、所帯もできるし、私を選ぶのか仕事を選ぶのか言われる人間がどっと増えてくるという。今度の映画で両方選んだ堀越二郎を僕は書きましたけど、これは面当てではありません。そういうわけで、どうしても時間がかかるようになったんです。

同時に、自分は1日12時間机に向かっていても、14時間机に向かっていても、耐えられる状態ではもうなくなりましたから。実際、机に向かっている時間は7時間が限度だったと思いますね。あとは休んでいるとか、おしゃべりしているとか、飯を食っているとかね。打合せとか、これをああしろとかこうしろとかいうことは、僕にとって仕事じゃないんですよ。それは余計なことで、机の上に向かって書くことが仕事で、その時間を何時間とれるかという。それはこの年齢になると、もうどうにもならなくなる瞬間が何度もくる。その結果何をやったかといいますと、鉛筆をぱっと置いたらそのまま帰っちゃう。片付けて寝るとか、この仕事はきょうでけりをつけようというのは一切あきらめたんです。やりっぱなしです。やりっぱなしで、放り出して帰るというのをやりましたけど、それでももう限界ぎりぎりでしたから。これ以上続けるのは無理だろうと。じゃあそれを他の人にやらせればいいじゃないかということは、僕の仕事のやり方を理解できない人のやり方ですから、それは聞いてもしかたがないんです。そういうことが出来るなら、とっくの昔にそうしていますから。

そういうわけで、5年かかったといいますけども、その間にどういう作品をやるかというのは、方針を決め、スタッフを決め、それに向かってシナリオを書くということをやっています。やっていますけど、5年かかったんです。そういうことがありますので、この「風立ちぬ」のあと、どういう風に生きるのかというのは、これはまさに今の日本の問題で。この前青年が訪ねてきて、映画の最後でカプローニと二郎が重なっていきますけど、その先に何が待っているのかと思うと本当に恐ろしい思いで見ましたっていう、びっくりするような感想だったんですけど、それはこの映画を今日の映画として受け止めてくれた証拠だろうと思って、それはそれで納得しましたが、そういうところにいま僕らはいるんだということはよく分かったと思います。ただ、質問に答えたことになるかは分かりませんが、そういうことです。

(改めてあいさつを)

宮崎監督:
こんなにたくさんの方がみえると思いませんでした。本当に長い間、いろいろお世話になりました。もう二度とこういうことはないと思いますので、ありがとうございます。

宮崎駿監督 引退会見(4)「風立ちぬ後の生き方」






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